本当の精霊流し見てきました!(2002年8月15日)
写真集は、う〜んと下にあります(^^)

あなたと私の人生をかばうみたいに  
30年前、当時中学生だった私が、
グレープの「精霊流し」の、この歌詞の部分に、強烈に影響を受けた。
「なんて心を打つ表現ができる人なんだろう!さだまさしという人は…!」
以来、さだまさしをこれほどまでに追い続けた原点が、このワンフレーズにある。
そして、本物の「精霊流し」を見ることを強く願っていた。
ラジオ等で、さださんが「良く、『歌のイメージと本物の精霊流しは違う』と、
お叱りのはがきを貰うが、あの歌は舟を流す人の、帰りの足取りの重さを歌にしたものなのですよ」

私は、それをきっと理解できるに違いない。
さあ、ついにその日が30年の月日を経てやってきた。

諏訪神社前にて

旅支度が整うと、去年発売された小説「精霊流し」の「精霊流し」の部分を、もう一度読んだ。
特に、長崎の町の中、地図がイメージできるようにした。
小説によると、思案橋→中央橋→県庁前→大波止
となっている。
この日は、近畿日本ツーリストのパック旅行の企画で、終日ハウステンボスの日程だ。

ハウステンボスから帰りのバスが、午後6時半を回った頃、諏訪神社前あたりにさしかかった。
諏訪神社は、さださんの小説や、トークにも良く出てくるが、街中から少しだけ、外れた場所にある。
ここで、初めて精霊船を一台見ることになった。バスの中から、至近距離に見える。
もう、ここで涙が出始めた…華やかに爆竹をたきながら、大波止を目指す舟。
この人たちの足取りは、悲しみを「華やかさ」に置き換えている…そう感じた。
船の前に飾られた遺影が、バスからはっきり見えた。私と同じ年頃の女性の写真だった。
中・高生も船をひいていた。彼らのお母さんが亡くなったのだろうか…

中央橋から

精霊流しのため、バスは交通規制により、中央橋で降りることになった。
中央橋あたりは、大変な賑わいだ。たくさんの精霊船が集まってくる。この頃、時間は7時を回った頃だっただろう。
そして町並みには大勢の浴衣姿の人々、そして爆竹の激しさが更に更に増し、耳をつんざくほどの爆音がとどろく。
見ると、爆竹が入っている赤いケース(足利で売っているのとおんなじだった)を、
一箱そのまま火をつけているのに驚いたら、なんとなんと!その赤い箱が更に大箱に入っていて
(コンパクト洗剤4個分くらいの)それにまとめて火をつけているではないか!雷がすぐ近くに落ちたような爆音、衝撃、
それがあちらこちらでやっているのである。素手に持って火をつけている人もたくさんいるのには驚いた。

コンビニで「精霊流しセット」というのを売っていた。
見ると、「爆竹と耳栓のセット」だった。
警備のおまわりさんも、みんな耳栓をしていた。

県庁前にて

NHKと書かれたカメラが、大型クレーン車に載って、角度を変えながら、撮影していた。
そのほか、テレビカメラマンが数人撮影していた。
これは恐らく、11月から始まるドラマ「精霊流し」のシーンを撮る目的と思った。
そのほかにも各所でテレビ局や新聞社が、りポートしていたが、地方局や、長崎新聞社等だった。
私ももしかしたら、ドラマに参加しているかもしれないのだ。

大波止にて

小説に書かれたままの道、人の流れに乗っていくと、大波止までついにたどり着いた。
海に差し掛かる道は、舟を流す人々のみしか入れないようになっていた。
でも、「流すところまで絶対見たい!」そういう気持ちでいたら、娘が警備にあたっているおまわりさんに道を聞いてくれ、
流す光景を見られる場所への道順を教えてくれた。大波止の交差点を右に曲がれば良い。

いよいよ大波止の、海が見える場所に出られた。
港が見下ろせる、小高くなった橋(歩道橋…?連絡橋…?のようなもの)へ出た。

息を呑んだ。

そこでは、「流す」のではなく、海へ舟を突き落としているのだ。
そしてだんべ船(正式には団平船というらしい)に、例えるなら大きなUFOキャッチャーの
ようなものが付いていて、それで容赦なく、落とされた舟をバリバリバリ!と掴んで、バコン!と、
「回収」するのだ。
突き落とす人は、どんな気持ちなんだろう。
亡くなった方への想いを断ち切るための、神聖な「儀式」なんだろうか。
涙が出て、止まらなくなった…そこで、足利さだ研の掲示板に、その気持ちを素直に書き込みした。

【注・タクシーの運転手さんに聞いたのだが、昔はその名のとおり、「流して」いたそうだ。
今は、環境問題から海に流さず、すぐに回収するということになったらしい】

少し遠くて良く分らなかったことだが、「遺影」も一緒に落としているようにも見えた。
いや、落とすとき遺影は絶対、はずすだろう。そう云うと、夫が「遺影も一緒にあの世へと行く儀式なんじゃないか…?」
と言った。真実はわからない。さださんに、葉書を書いて聞いてみよう。

ごくごく、小さな舟を見た

たくさんの精霊船を見て思ったことのひとつに、さださんが良く言っている「船の大きさがその人への
愛の大きさでは決してないよ」ということ。でも、ひとつ、私の心を、更にとっても心を重くした舟に出会った。
大きな舟は何重連にもなり、電車一両分くらいあったと思う。また、小さい船でも、軽自動車くらいはあったと思う。
それが、例えるなら、刺身の舟盛くらいの大きさの、ごくごく小さな船を見たのだ。
それを持っていたのが、若い夫婦、そして無邪気な2〜3歳の子供だ。
もしかすると、この舟は赤ちゃんなのだろうか…?
私も親であるので、強く、強くショックを受けた。
なかなか立ち直れずに、旅のあとでもしばらく心が癒えなかった。

「あの曲の意味が良くわかったよ」
夫や我が子は精霊流しの最初には、「あの歌と、全然イメージが違うね!」
と言っていた。

ところが、大波止で心をこめて私に言ったのだ。
「さだまさしがあの歌で伝えたかった、芯の部分が良くわかったよ…」

アイスクリン屋のおじさんから

翌16日、出島観光をした。
出島で、おじさんが屋台で売っているアイスクリンを買った。
「昨日、精霊流し見たかい?長崎で死ぬのも大変だよ…爆竹だけで、60万円もかかる。
舟は、300万円くらいはかかるもんなあ。うかうか死ねないから、もう少し、私も頑張らなくちゃあな」

今年は舟が1400くらい出た、と、翌日の長崎新聞に書いてあった。
今年は大変少ないのだと言う。「亡くなる人が少なかったのかなあ?」そう喜んだ私の気持ちも束の間、
「今年は不況でね…舟を出せない家がたくさんあったんだってよ…」アイスクリン屋のおじさんが言った。

今度は
今度私が長崎に行くのは、「8月6日」を選ぶだろうか。

8月15日の晩に長崎にいる。
こういう機会は、今後何10年もないだろう。でも、2002年8月15日、そのとき強く感じた、「人を送る」という
心の風景を、今後絶対忘れない。
つらいとき、くじけそうなとき、いずれ私の「舟」を出してくれる人の(もちろん、足利だから心の)ことを思い、
強く生きて行けそうな気がします。


8月14日〜16日まで、こんなツアーで長崎に行ってきました!

メイトファミリー九州(近畿日本ツーリストパックツアー)
(黒字は企画旅行、青字は個人行動
ファミリー長崎スペシャル3日間

(1日目)14日
羽田空港・・・・福岡空港・・(メイトグラバー号)・・長崎市内観光(平和公園・大浦天主堂・グラバー園)
・・・・長崎名物中華料理の夕食・・・・ホテル
(2日目)15日
ホテル・・・・ハウステンボス・・・・長崎・精霊流し・・・・ホテル
(3日目)16日
ホテル・・・・長崎観光(原爆資料館・出島・眼鏡橋・オランダ坂・坂本竜馬の風頭公園・亀山社中・長崎ちゃんぽんの昼食 )
・・(メイトエアーポートライナー)・・福岡空港・・・・羽田空港・・・・我が家

家族がいっしょなので、さだ三昧の場所に行くというわけには行かなかったですが、それでも家族は快くつきあってくれました。
オランダ坂にて
行き先は「蛍茶屋」!!
耳をつんざく爆竹の音。精霊船
華やかさの中にある「送る」人の心
精霊流しの翌16日、坂本竜馬の銅像前にて
亀山社中跡入り口にて。
亀山社中跡にあった、さださんのサイン
坂本竜馬は、袴に革靴だったそうだ。何故か廣田さんを彷彿とさせる・・・?
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