この御堂は、五百羅漢像とともに、栃木県有形文化財に指定されている五百拾参軀が一堂に安置せられている。

羅漢堂は土蔵造り、屋根は瓦葺き平屋建て、文化10年(1813)建立である。ピラミッド型に作られた台に段を10段に設け、その最上段に、

阿弥陀如来坐像一体、観世音菩薩、立像一体、右。勢至菩薩、立像一体、左。その段の角に10段に釈迦の弟子(立像)10体、

五百羅漢(坐像)500体、28cm一本造りが並べて安置せられ台は黒塗り、

尊像は朱塗り、その上に金泥をかけ、顔、胸、腕には、金粉をかけている。

いずれも一本造りで、眼は彫眼である。五百羅漢尊は、本県下には当山以外にはなく、日本にも珍しく、鎌倉の建長寺、

及び九州耶馬渓の羅漢寺と当、足利の徳蔵寺を、日本三大五百羅漢尊と称せられている。


 

この羅漢堂は漆喰塗りで土蔵造り異色ある方形造りである。

羅漢とは、古代インド語であるサンスクリット(梵語)に言う、アルハットの書訳「阿羅漢」の略であり、

漢語の字義に移せば、応供、真人の意味で、人々の供養尊敬を受けるに値する聖人を指し、「悟りを得た人」という意味に解される。

元来釈尊の身近な弟子たちにして、釈尊の滅後に於て、釈尊の説かれた教えを後世の人々に伝えんと結集(けつじゅう)といって、

多数の阿羅漢が集合して、お釈迦様の教えを正しく編集し、お経にした方々が、10人の釈迦の弟子、その他選ばれた優れた500人の弟子たち、

即ち五百羅漢である。現に釈尊の教えを書いた経典に私達が親しむことの出来るのは、

この10大弟子及び五百羅漢尊の経典編纂結集のたまものであった、

よって仏教にとってはこの羅漢様の功績は極めて重大な意義を有して居られるのである。

 

   

   

 


 

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