取調べ官(刑事)は、取調べのプロです。彼らは「どんな人間であろうと、自白させる自信がある」と言います。少し前までの刑事ドラマでは、取調室の中で刑事がバンバン被疑者をなぐって自白させているシーンを、平気でお茶の間に流していました(暴力による自白の強要は法律で禁止されているにもかかわらず。)

でも実際には今、取調室の中で、刑事たちはあんなふうに殴る蹴る等の暴力はあまり使いません。そんなことをしなくても、人間の心の弱さをうまく突いて自白させる、多様な技術があるからです。

任意の取り調べだと言って、突然警察署へ連れ出し、密室の中で、何人もの刑事に取り囲み、うそ発見器にかけたり、長時間こちらの言い分をいっさい聞かずに、一方的に耳元でどなり続けたり、そんな中で今現在もさまざまな冤罪が生み出されています

 

やってないなら

 

なぜ菅家さんは自白してしまったのか?

 菅家さんの手紙にあるとおり、1991年12月1日の早朝七時半、刑事たちが菅家さんの借家を訪れ、逮捕状もなくドヤドヤと上がり込み、いきなり犯人扱いし、有無を言わさず足利署へ連行しました(その日まで、菅家さんは自分が疑われていたことなどまるで知りませんでした)。

 連行された時点で、家族へはもちろん、当日出席する予定だった元同僚の結婚式への不参加連絡さえ取らせてもらえず、日常の空間から完全に引き離され、たった1人取調室という密室の中で何人もの刑事たちに取り囲まれ、丸一日耳元で大声でどなりながら責め続けられ、力尽きて当日深夜自白しました。

自白してしまった心境を、後に菅家さんは「何もやっていないのに、すごく悔しかった。でも今ここで自白してしまっても、裁判になれば裁判官は立派な人たちだから、必ず自分の無実を見抜いてくれると思っていた」と語っています。

 いったん自白すると、刑事たちはとたんに今までとは打って変わって、やさしい人情家に変身します。人情家をよそおった刑事による心理操作と、寸前までの恐怖の取調べに逆戻りしたくない気持とで、翌日以後は、必死になって問われるままにうそにうそを重ねた自白ストーリーを、取調べ刑事と一緒に合作してしまう(このことについては、さまざまな冤罪事件の被疑者が、みな同様の経験を語っています)。菅家さんはなんと、この事件だけでなく、以前に足利で起きた二つの事件(アリバイが成立して不起訴)まで自白させられます。

 運が悪いことに、一審弁護人がマスコミのDNA鑑定一致報道を信じて、菅家さんを頭から犯人と決めつけてしまったため、菅家さんはその弁護人を「自分を弁護してくれる立場の人」と理解することができず、「この人に本当のことを話したら刑事にそれが伝わって、またあの恐怖の取調べをやられる」と恐れ、裁判の中盤まで真実を伝えませんでした。

 一審の途中でいったんは勇気を出して否認したのに、情状酌量を弁護方針とするこの弁護人によってすぐに「やはり私がやりました」という上申書を裁判所に提出させられ、ふたたび自白を維持させられます。

 一審後半、菅家さんは弁護人にあてて切々と冤罪を訴える手紙を書き、こんどこそきちんと否認に転じましたが、弁護人はついに事実調べをせず、そのまま「無期懲役」の判決を迎えました。(その後、菅家さんは一貫して無実を訴え、二審以降、新しい弁護団と共に、しっかりと裁判を闘っています。)

 

しかし、当時マスコミが大々的に書きたてた「DNA鑑定一致」報道は、検察官、裁判官はもちろん、一審弁護人を含め、すべての裁判関係者から真実を見ぬく目を奪い、「自白の検証」という「裁判の基本中の基本作業」を踏むことを怠たらせました。

それどころか、一審弁護人がほとんどいっさいの検察側証拠を認めてしまった結果、一審では現地調査を含め事実調査がまったく行われませんでした。

二審になって、新たに結成された弁護団が何度も現地を踏み、きちんと調査した結果、やっと自白と客観的事実とのたくさんの矛盾が法廷に出ましたが、一審を重視する今の裁判制度の中で、国家警察の威信を守ることを選んだ高木俊夫裁判長は、控訴棄却を言い渡しました(一審宇都宮地裁、二審東京高裁、最高裁、三つの裁判所の担当裁判官は誰一人現地を訪れてさえいません。)