足利事件年表                               

 

足利事件経過

1990年 5月12日   夕方7時頃、足利市内のパチンコ店から4才の保育園児Mちゃん行方不明となる。

        5月13日  渡良瀬川河川敷でMちゃんの遺体発見。ごく微量の精液の付着したMちゃんの半袖 下着、同川の水中で、泥だらけの状態で発見。同日夜、県警科学捜査研究所、Mちゃんの半袖下着に付着した精液斑を血液型鑑定し、B型と特定。

 足利市では本事件に先立つ11年間に2件の同様の幼女殺害事件が起こっていた。そのため本事件発生後は、3件目ということで県警のメンツをかけた大捜査体制が敷かれた。またこれ以後市内を中心に大規模なロ−ラ−作戦(聞き込み捜査)を展開。また、独身男性を中心に、たばこの吸い殻の任意提出要請する等の方法で、唾液検査(血液型判定)を行なう。B型と特定されると、徹底的に取り調べた。しかし、半年間、成果なし。捜査陣にあせり。

     10月      科学警察研究所(科警研)がDNA鑑定を実用化へ 

     11月末    聞き込み捜査により幼稚園バス運転手菅家利和さんマ−クされ、寺崎巡査部長、菅家さんの借家を訪問。捜査令状無しで室内を調査。勤務先へも刑事が聞き込み。以後彼のみが徹底的なマ−クを受け、逮捕まで約1年間も尾行され続ける。

1991年 3月      勤務先への刑事の聞き込みが原因で解雇され、以後失業。

    5月22日   警察庁がDNA鑑定導入決定。

    6月23日  尾行中の刑事、菅家さんの捨てたゴミ袋を無断で押収。中に入っていた使用済みティッシュを押収。

         8月21日   科警研に半袖下着とティッシュをDNA鑑定依頼。

         8月28日   警察庁がDNA鑑定機器費用概算要求(1億1600万円)

          11月25日   DNA鑑定報告。一致との結果。(約2ケ月以上遅れて報告。意図的。)

          12月  1日    早朝、警察は菅家さんを逮捕状もなく、足利警察署へ連行。同日夜中まで取り調べ。

                夜半、自白。

 この日の朝、読売・朝日・毎日3紙が、朝刊の全国版に大きく「DNA鑑定一致。容疑者事情聴取」と先行報道。地元紙の下野新聞や、東京新聞、産経新聞等には事前に情報が伝わらなかった。、また上記3大紙でも地元記者には同様に情報が伝わらなかった。警察庁が情報を特定の報道機関にリークしたとしか考えられない。

 何故か?当時警察庁は、警察庁にしかなかったDNA鑑定機材を、全都道府県警に配備することを目指していた。その年大蔵省に予算要求して、一旦はねられてしまったが、その復活折衝に向け、DNA鑑定のすばらしさを宣伝する必要があった。ちょうどその時期、幼女殺害容疑でひそかにDNA鑑定された菅家さんは、グッドタイミングで恰好のターゲットにされた。この時点で、すでに菅家さんは、何が何でも犯人でなければならなかった。

 この警察庁のリークを、栃木県警も知らされていなかった。早朝から大挙して押し寄せた記者たちによって事の深刻さを初めて認識した県警は、すさまじいプレッシャーの中、逮捕状なしに菅家さんを連行、取調べを開始した。

   12月 2日     未明、自供によりMちゃん殺害容疑で菅家さんを逮捕。

       12月 4日    橋本警部、寺崎巡査部長、茂串清、手塚一郎警部補、福島康敏県警技官ら本 件捜査担当者8人を表彰。

       12月  5日   科警研に菅家さんの血液の鑑定依頼。

       12月13日    渡良瀬川河川敷などを現場検証。

             同日    菅家さんの血液のDNA鑑定報告。

    12月21日   Aちゃん事件で菅家さんを起訴。

           同日   菅家さん、Bちゃん・Cちゃん事件も自供

 実は、Bちゃん事件(1979年8月3日、Bちゃん消息不明、同月9日、遺体発見)の時、菅家さんにはれっきとしたアリバイがあった。

 1979年8月3日午後2時過ぎ、付近の食堂の店員Nさんが、Bちゃんが同い年くらいの男の子と渡良瀬川の方へ向かって走り去って行くのを目撃。Nさんはすぐに警察へ連絡して、調書も作成された(これが行方不明になったBちゃんの、最後の目撃情報)。

 それから12年後の1991年12月。菅家さんがMちゃん事件のことで逮捕されて、Bちゃん事件も自供した。菅家さんの自白内容によると、殺害時刻は8月3日の午後0時から1時の間(当時勤めていた保育園の昼休み時間)。またBちゃんの死亡推定時間と合わせてみても、菅家さんが犯行可能な時刻は、同日の同時間帯しかない。そして午後1時以降、菅家さんが職場の保育園で勤務に服していたことは、きちんと確認されている。

 菅家さんが自供した直後、刑事がNさんを勤務先に訪問。菅家さんの自供と矛盾するNさんの証言を、考え直すよう説得され、後日足利警察署に出頭するよう言われる。そして菅家さんの自供と矛盾する12年前のNさんの調書の内容変更を要求される。そして、あろうことか目の前で警察官による調書改竄、捏造が行われた後、その捏造調書に捺印を要求され、しかたなく捺印。後日検事にも呼び出され、同様に捏造した調書に捺印させられる。

     12月24日  Bちゃん殺害容疑で菅家さんを再逮捕。

 法律上、留置場(代用監獄)での勾留は23日間を限度とすることが決まっている。この日は、菅家さんが逮捕状も無く足利警察署へ連行された12月1日から、数えて23日目。「再逮捕」という形式を踏むことにより、合法的に、代用監獄への勾留が23日間延長された。

     12月26日  DNA鑑定機器予算が、大蔵省復活折衝で認可。・ 

1992年 1月11日   Bちゃん事件で現場検証。

           1月15日   Bちゃん殺害事件の捜査終了。起訴処分保留。

  調書捏造」までしたけれど、やはり「本件までひっくり返ってはまずい」と判断したのだろう、宇都宮地方検察局は、Bちゃん事件を起訴処分保留とした(もしあの時、検察がBちゃん事件も起訴していて、裁判中に調書捏造の事実がばれたりしたら、恐らく菅家さんは「無罪判決」を得ていた可能性が高い)。

  この決定後、検察は「菅家さんが犯人に間違いないのに、物証が無く、起訴できず非常に残念だ」、というニュアンスをたっぷりと匂わす記者会見をした。。

      1月22日   菅家さん、宇都宮拘置所に移監される。

  菅家さんに対する留置場での取り調べは、実に52日間。以後、約9年間,ずっと拘置所の独房(宇都宮拘置所に2年半、東京拘置所に6年半)に拘留され続ける(以後今日までは、千葉刑務所在監)。 

      1月27日   菅家さんが家族に初めて手紙を出す。

  以後約1年間、菅家さんは家族に対し、無実を訴える手紙を14通も出し続ける。

      2月10日   Bちゃん殺害容疑で菅家さんを書類送検。

 

     2月13日  本件(Mちゃん事件)の第1審初公判(宇都宮地方裁判所)。

             検察側161点の証拠申請。弁護側、DNA鑑定に関する鑑定書3通以外全証拠に同意。従って以後ほとんど一切証拠調べ行なわれず。 

      2月17日  寺崎巡査部長と足利警察署捜査本部に警察庁長官賞。

      3月 5日  第2回公判。

             県警科捜研技官で、被害児の血液鑑定人福島家康敏に対する尋問。弁護側血液鑑定型の鑑定書のみ、証拠採用に同意。

1992年 4月14日  警察庁がDNA鑑定運用指針通達。

      4月23日  第3回公判。

      5月21日  第4回公判。

      6月 9日  第5回公判(被告人質問)。

            〈この後半年間、精神鑑定のため、法廷は開かれず〉

    12月22日  第6回公判(犯行を否認)。

     12月25日  菅家さんが犯行を認める上申書を提出(情状酌量ヲ考エタ弁護士ノ助言ニヨル)。

1993年 1月28日  第7回公判(再び犯行を認める)。

      2月26日  Bちゃん、Cちゃん事件の不起訴が決定。

      3月11日  第8回公判(論告求刑。無期懲役を求刑)。

      3月25日    第9回公判。(弁護側最終弁論。無罪および情状酌量を主張)。

      5月31日  菅家さんが弁護士に、はっきりと犯行を否認し無実を訴える手紙を出す。これを受け、弁護士は弁論再開(検察側の論告求刑、弁護側の最終弁論が終わり判決を待つ直前になって再び公判を開き弁論を再開すること)を要求。

      6月24日   第10回公判(弁論再開。菅家さん犯行を否認。当日のアリバイを主張。再度論告求刑、弁論、結審)。 

    7月 7日  第11回公判。判決。無期懲役。(判決の理由の大部分をDNA鑑定の重要性について論じている)。                     

      7月 8日  菅家さんが東京高裁に控訴。

          8月     菅家さん東京拘置所へ移監。

      12月14日  東京高裁へ控訴趣意書を提出。

 

1994年   4月28日  第二審の初公判。 (弁護側控訴趣意陳述。検察側控訴棄却を主張) 

             6月21日   第2回公判。     (県警科捜研技官で血液型鑑定人、福島康敏氏への弁・検双方尋問)

    9月 9日   第3回公判。     (被告人への双方尋問)

     9月22日   第4回公判。     (元警察庁科警研技官でDNA型鑑定人、向山明孝氏への双方尋問

     10月 6日  第5回公判。    (科警研技官でDNA型鑑定人、坂井活子氏への双方尋問。)    

     11月 1日  第6回公判。   (当時県警捜査一課長強行班長、橋本文夫警視への双方尋問)   

     11月18日  宇都宮裁判所足利支部にて出張尋問。 (被告が犯行後立ち寄ったとされるス−パ−店員への証人調べ)

     11月22日  第7回公判。   (橋本警視への弁側尋問残り。その後当時県警刑事調査管理化勤務で、本件副主任間、捜査本部兆歩さ、吉村武夫軽視への検察側尋問)

     12月 6日  第8回公判。   (芳村警視への弁護側尋問。)

     12月22日  第9回公判。   (被告人への双方尋問。)

1995年 1月19日  第10回公判。   (一審で被告を精神鑑定した福島章上智大教授への双方尋問)   

      2月 6日  宇都宮裁判所足利支部にて出張尋問。  

(被告が被害者を自転車で連れ出し、犯行直前に川の護岸付近で自転車を置いたとされる渡良瀬川運動公園で、ちょうどその時刻運動の練習をしていた2人の足利市民への証人調べ)      

    2月28日  第11回公判。   (2月6日出張尋問の要旨説明。弁護側再度の精神鑑定を請求)   

      4月25日  第12回公判。   (両陪審移動。今までの経緯が読み上げられる。)

     5月29日  宇都宮裁判所足利支部にて出張尋問。  

  (事件当日夕方、女の子の手を引き、川の土手を下りる男の目撃者・菅家被告の兄以上2人への証人調べ)

      6月 1日  第13回公判。

                             (5月29日の出張尋問の要旨説明。@現地調査 A再度の精神鑑定 B一審精神鑑定人福島章の鑑定時録音テ−プ C一審精神鑑定時に福島氏の助手として心理テストを行なった当時上智大学の女子学生の心理テスト報告書以上4点の証拠申請一切却下。               また一審弁護人梅沢錦治氏に対する証人申請も却下。)

      6月22日  第14回公判。   (最後の弁護側による被告人質問・弁護側保釈請求)

      7月     保釈が却下される。

      9月21日  第15回公判。   (当初、最終弁論の予定だったが、直前になって内容変更。被害児の司法解剖に当たった上山氏に対する証人申請、その他)   

          11月16日   第16回公判。

             (上山滋太郎独協医科大教授に対する証人尋問。その後、解剖鑑定書の再鑑定等、弁護側証拠申請を却下。弁護側の裁判長忌避申し立てを却下)

1996年 1月18日  第17回公判。     (双方最終弁論、結審)

                5月  9日  判決      (控訴棄却。一審判決をほぼそのまま追認)。

        同日   ただちに最高裁に上告

1997年 1月20日  弁護団、最高裁へ上告趣意書を提出。          

         10月28日    弁護団、上告趣意書の補充書〔1〕を提出。

(弁護団が菅家さんの髪の毛を使って独自に行なったDNA鑑定の結果が、科警研DNA鑑定の結果と違っていたことを指摘。DNA鑑定の再鑑定を請求。また真犯人のものと思われる鑑定資料の適切な保存を上申。)

1998年  7月  6日   弁護団、補充書〔2〕を提出。

(科警研DNA鑑定で、犯人と菅家さんとのDNA鑑定が一致したことを示すはずの鑑定写真が、弁護側が行なったコンピュ−タ解析の結果一致していないことを指摘。        

      9月20日   日弁連人権擁護委員会が、書籍『DNA鑑定と刑事弁護』を刊行(現代人文社刊、  7000円+税)。DNA鑑定の基礎知識、我が国のDNA鑑定についての科警研技官の論文や証言、過去の弁護活動、刑事事件におけるDNA鑑定についての考え方、欧米における法的状況、様々な資料等が網羅されている。

     12月 1日  弁護団、補充書〔3〕を提出。

(上記DNA鑑定に関する最高にト−タルで高水準な資料である本書を裁判所に提出し、それに添ってこの事件のDNA鑑定の意義、つまりその証拠能力および証明力について改めて論じている。)

 この間、最高裁に向けて、支援団体が《口頭弁論を開くこととDNA鑑定の再鑑定を行うこと》を求める署名活動を行い、99年6月には、支援4団体がそろって最高裁へ妖精行動を行い、署名を提出した。

1999年 11月  1日   弁護団、補充書〔4〕を提出。

(9月に共に判決の出た飯塚事件・甲山事件の判決内容が、それぞれ「DNA鑑定」と「自白」について新しい判断を下しているとして、本件についてもその判例に従い、1・2審判決の誤りを糾すよう申し入れ。)

2000年 2月14日  弁護団、補充書〔5〕を提出。 (補充書〔4〕の自白部分を深めた内容。)

      3月10日  弁護団、上申書提出。

(同日発売された写真週刊誌フライデ−3/24号に、本件発生以前にやはり足利市内で起こった2件の幼女誘拐殺害事件の最初の事件(Bちゃん事件)での警察による「調書捏造強要」に関する記事が、掲載されたが、その内容が、本件自供の信用性にかかわる重大な問題なので、弁護団が証拠収集したいので、時間的猶予を欲しいとの内容。)

7月 7日  弁護団、補充書〔6〕を提出。

(内容は、@科警研DNA鑑定は、再鑑定の保障なしで行われた故に、証拠能力がないことを詳説。A鑑定資料の保管についての裁判所の配慮を再要求。また一審精神鑑定での福島章教授の問診テープの開示を福島教授に命ずるよう請求。Bフライデーの2000年3月24日号掲載のBちゃん事件での警察による「証拠捏造強要」に関する詳細について。

2000年 7月18日  最高裁、上告棄却の決定。弁護団の主張に対する具体的判断を一切せず。

      7月19日  菅家さん直ちに異議申立て書提出。

      7月21日  弁護団、異議申立て書提出。

      7月27日  最高裁、異議申立てを却下。

      7月28日  菅家さん、日弁連人権擁護委員会および栃木県弁護士会同委員会へ人権救済申立て。

     10月30日  菅家さん、千葉刑務所へ移送。以後同所にて今日に至る。

2001年 5月     日弁連足利事件調査委員会発足。 

2002年12月20日 日弁連、足利事件を冤罪と認定し、その再審支援を機関決定

2002年12月25日 菅家さん、宇都宮地裁に再審請求

 

 

再 審 請 求 審

2002年12月25日  宇都宮地裁に再審請求

2003年 6月12日  第1回三者協議

       9月 4日  第2回三者協議

2004年 2月19日  第3回三者協議

      4月14日  検察側 意見書(DNA鑑定についての)を提出

      6月 1日  検察側 意見書(鈴木鑑定について)を提出

      7月13日  第4回三者協議

     10月28日 第5回三者協議

2005年 2月 8日  第1回証人尋問(鈴木康夫鑑定人)

      3月19日  第2回証人尋問(  同       )

      6月20日 弁護団 再審請求補充書(4)を提出

        同日  検察側 意見書を提出

    10月下旬頃 宇都宮地裁、DNA鑑定資料(被害者の半袖下着)を冷凍保存するため自治医大に保管委託

2006年 2月15日 弁護団、本件最高裁決定時の調査官だった後藤真理子裁判官の著作(DNAに関するもの) 

             を証拠として提出

      春頃?  宇都宮地裁 菅家利和氏を尋問??

     6月29日 三者協議

     9月28日 三者協議 裁判所側、「現在ある証拠にもとづいて判断したい」と結審の意向を提示

2007年1月24日 弁護団 再審請求補充書(5)を提出。

また、新たな証拠として、警視庁科学捜査研究所の法医研究員、高木賢治氏の論文(DNA鑑定に関するもの)※注2 と、現東京高裁裁判長植村立郎氏の論文(共にDNA鑑定に関するもの) 提出

     2月7日  弟9回三者協議(裁判所、村井達哉鑑定人の証人尋問を決定)

      同日   検察側、意見書提出

     7月 9日 弁護側、意見書(再審開始決定を求める意見書)と再審請求補充書(6)

(新聞で言う「再審開始決定を求める意見書」に相当)を提出

     7月23日 宇都宮地裁、これ以上の証拠調べをすることなく、(すなわち、DNA鑑定の再鑑定を実施することなく)

本件再審請求について結論を下す旨の態度を明らかにする

     7月31日 再審請求補充書(7)を提出。

本件DNA鑑定と岡田薫氏の論述の変化と、DNA鑑定を求める権利等を論述して、宇都宮地裁に対し、DNA鑑定についての正しい判断を求める

2008年2月13日 宇都宮地裁、再審請求棄却決定

2008年 2月18日  菅家さん、弁護団はただちに東京高裁に即時抗告。

2008年10月15日  検察官意見書を提出(裁判所が再鑑定を行うのなら敢えて反対しないという内容)

2008年11月15日  弁護団、「ミトコンドリア法を含む複数の鑑定を」「鑑定人は双方推薦の鑑定人を」との意見書提出

2008年12月19日  三者協議。DNA再鑑定実施に向けて協議。

2008年12月24日  東京高裁、DNA再鑑定を正式決定。

2009年 1月23日  実質的な鑑定作業を開始。(鑑定試料である被害者の半袖下着を2つに分割し双方鑑定人に分ける)

2009年 1月29日  菅家さんの血液と口腔粘膜を採取し、双方の鑑定人が持ち帰る

2009年 5月 8日  双方鑑定人、鑑定結果を裁判所に提出。双方とも、菅家さんのDNAと被害者の半袖下着に付着するDNAの 

              型が一致しなかったという結果が出た。