広重「名所江戸百景」昔と今
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安藤広重「名所江戸百景」 アトリエの前の住人は、義姉のご両親なのですが、とても物を大切にする方達で、古い物でもきちんと整理して、納戸や押入れ、古いタンスなどに保管してありました。
「使える物は何でも自由に使って良い」と言われたのを幸いに、今は亡きお二人の人柄を偲びながら、とても便利に使わせてもらっておりますが、探し物をしていると、時々面白い物が出て来ます。
これからご紹介するのは、安藤広重の「名所江戸百景」の印刷版で、昔の名所と現代のその場所とを比較できるようになっていて、とても面白いものです。
少し前の時代の新聞購読者用ギフトで、それを毎回大切に保存して、傷ひとつありません。
一部抜けているところもありますが、ひとりで楽しんでいてはもったいないと思いますので、このコーナーで関心のある方達にもお裾分け致します。
著作権とか、それに類した問題もあるのでしょうが、これで何か利益を得ようという訳でもないので、万一関係者の方がご覧になった時には、どうかご寛容のほどを。

1.日本橋江戸ばし<中央区>

1.日本橋江戸ばし<中央区>
1.日本橋江戸ばし<中央区>の写真  日本橋は慶長八年(1603)はじめて架けられた。翌九年、諸街道に一里塚を築き、この橋から距離をはかった。全国諸道の原点を橋の中央ときめたのは明治六年(1893)である。
 絵は橋の北詰め東側から下流を見ている。江戸橋が見える。江戸橋と日本橋間の左岸に魚河岸があり、関東大震災で焼けて築地に移るまで、ここは「日千両」の江戸随一の盛り場だった。
 右岸のはしに石垣を積んだ土手蔵がある。四日市河岸とよばれたところだ。その下流は木更津河岸。江戸橋のむこうに並んでいる白壁の列、小網町の商家である。橋上の盤台の中で鰹がいきのいい光を放っている。「目には青葉山ほととぎす初鰹」の季節である。
 諸道の元標、繁華の中心、旅立ちの起点として、日本を代表する橋なのに、橋名の由来がわからないというのは、不思議でもあり、残念にも思えるのである。いろいろ説はある。が、これだというきめ手は全くない。つぎに諸説の主なものとその出典を紹介しよう。
 1.「日本国の人、あつまりてかけたる橋」(慶長見聞集)2.「諸国の行程も、ここより定めらるる故」(御府内備考)3.「実にや、六十余州の繁昌もここに摂したれば」(僧廓然遊暦記)4.「旭日東海を出づるを親しく見る故に」(江戸名所図会)などである。
 南詰め西側に日本橋由来記の碑がある。これには「人呼ンデ日本橋ト称シ」とあるだけである。昔、ここは高札場。そして向かい側は晒場だった。現在は交番がある。“高札は目で見るそばで耳でみる”なんてくると、現代の街頭テレビそっくりではないか。
(写真=歩行者天国の日曜日、北詰め東角から日本橋川下流をのぞむ)

【このページは14日〜21日位毎に、次の作品に更新予定です】

1.日本橋江戸ばし 2.玉川堤の花

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