クリミナル国内外事件簿
Criminal Case book





60 埼玉熊谷愛犬家連続殺人事件

2019年4月05日より非公開





クリミナル国内外事件簿

 「殺人と事件の事例 TOP 」 (目次 表紙)
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主要参考文献等は、ウィキペディア(Wikipedia)等他



60
埼玉熊谷愛犬家連続殺人事件」 1995年(日本) 


59
「ハロー・キティ殺人事件」 1999年(香港)


58 
「左翼(パヨク)天国  日本」  2016年(日本)


57 
栃木佐野ママ友いじめ連続自殺事件」  2015年(日本)

56 
「西オーストラリア・グリーノウ  一家殺害事件」 1993年(オーストラリア)

55
「ミシェル・アヴィラ殺人事件」 1985年(アメリカ)

54
和歌山メル友(出会い系)強盗絞殺事件」 2002年(日本)

53
捏造の国 中国・韓国」 1945年 〜1955年

52
「オードリー・ポット(被害者)レイプ未遂自殺事件」   2012年(アメリカ)
「ラティア・パーソンズ(被害者)レイプ自殺事件」  2011年(カナダ)
「アマンダ・トッド(被害者)いじめ自殺事件」    2012年(カナダ)

51
「イアン・マクニコル(被害者)DV事件」 2008年(イギリス)

50
「マージョリー・ニュージェント殺人事件」 1996年(アメリカ)

49
「ここが変だよ、中国・朝鮮半島・日本人左翼思想の闇」
中国・北朝鮮・韓国・日本人左翼(中国・北朝鮮・韓国・日本)

48
「オクラホマ・18歳ママ・ストーカー射殺事件」 2012年(アメリカ)
「ローラ・ブラック(被害者)事件」 1988年(アメリカ)
「ルーム・メイト(カルメン・スミス)殺害ストーカー事件」 1995年(アメリカ)
「オクラホマ・逃亡ストーカー殺人事件」 2002年(アメリカ)
(スコット・アイゼンバー)

47
「島根県・浜田・女子大生バラバラ殺害事件」 2009年(日本)
「島根県・松江市・女性失踪事件」 2012年(日本)

46
「NY人食い警官事件」 2012年(アメリカ)

45
「米コネチカット州チェシャー・ペティット家侵入殺人事件」 2007年(アメリカ)

44
「名古屋妊婦殺害事件」 1988年(日本 愛知県)
「名古屋おとり捜査未遂事件」 1990年(日本 愛知県)
「名古屋・西区主婦殺害事件」 1999年(日本 愛知県)

43
「米ニセ電話身体検査事件」 2004年(アメリカ)

42
「世田谷一家殺害事件」 2000年(日本 東京)
「米ベイカーズ・フィールドの一家殺人事件」 2003年(アメリカ)

41
「兵庫連続変死コンクリート殺人事件」 2011年(日本)

40
「高知白バイ衝突死事故事件」 2006年(日本)

39
「桶川ストーカー殺人事件」 1999年(日本 埼玉県)

38
「テキサス奴隷牧場事件」 1984年(アメリカ)

37
「ウエスト・メンフィス・スリー事件」 1993年(アメリカ)

36
「ヨセミテ国立公園殺人事件」 1999年(アメリカ)
「スピード狂殺人事件」 1984年(アメリカ)
「ジェネシー川殺人事件」 1990年(アメリカ)

35
「女子高生連れ去り監禁事件」 1965年(日本 東京)

34
「奈良騒音事件」 2005年(日本)

33
「和田和夫一家殺害事件」 1945年(韓国)
「竹の森遠く」 1945年(韓国)
「お星さまのレール」 1940年(北朝鮮)

32
「従軍慰安婦問題の真実」 1977年(韓国)
「竹島の真実」 1951年(日本)
「第一大邦丸事件」 1953年(日本)
「外国人参政権」 (日本)
「人権擁護法案」(日本)

31
「フジテレビ抗議デモ」 2011年(日本)
「脱原発デモの正体」 2011年(日本)

30
「グリーン・リバー・キラー(グリーン川殺人)」 2001年(アメリカ)

29
「ワインヴィル養鶏場殺人事件」 1928年(アメリカ)

28 
「レイチェル・バーバー殺人事件」 1999年(オーストラリア)
「ミランダ・バーバーの犯罪」 2013年(アメリカ)
(別称 クレイグズリスト殺人)

「クレイグズリスト・キラー」 2009年(アメリカ)

27 
「ブラック・ダリア事件」 1947年(アメリカ)

26
「ポール・ベルナルド&カーラ・ホモルカ夫妻事件」 1993年(カナダ)
「カナダ・ポルノ俳優の中国人バラバラ猟奇殺人事件」 2013年(カナダ)

25
「デヴィッド&キャサリン・バーニー(夫婦)殺人事件」 1986年(オーストラリア)

24
「スノータウン殺人事件」 1999年(オーストラリア)

23
「全米ゾンビ事件情報」 2012年(アメリカ)

22
「レイ・スペンサー(幼児虐待)事件」 1984年(アメリカ)

21
「ハーメルンの笛吹き男」 1284年(ドイツ)

20
「アミティヴィル殺人事件」 1974年(アメリカ)
「悪魔の棲む家 事件」  1979年(アメリカ)
「ハリスヴィルの祟り事件」 1970年(アメリカ)
「コネチカットの祟り事件」 1986年(アメリカ)

19
「千葉県市川市 一家4人惨殺事件」 1992年(日本)

18
「北九州(小倉北区)少女監禁事件」 2002年(日本)

17
「福岡・久留米市看護師4人保険金連続殺人事件」 1998年(日本)

16
「ミシシッピー公民権運動家殺害事件」 1964年(アメリカ)

15
「ドニプロペトロウシク・マニアック 21人猟奇連続殺人事件」 2007年(ウクライナ)
「ポロゴフスキー・マニアック 36人連続猟奇殺人事件」 2005年(ウクライナ)

14
「コロンバイン高校銃乱射事件」 1999年(アメリカ)
「バージニア工科大学銃乱射事件」 2007年(アメリカ)
「サンディ・フック小学校乱射事件」 2012年(アメリカ)

13
「ポート・アーサー銃乱射殺人事件」 1996年(豪州 タスマニア島)
「津山三十人殺し事件」 1938年(日本 岡山県)
「テキサス大学タワー銃乱射事件」 1966年(アメリカ)
「韓国の警官 禹 範坤(ウ・ポムゴン)事件」 1982年(韓国)
「華城(ファソン)連続殺人事件」 1986年 〜1991年(韓国)
「韓国史上最悪の連続食人殺人事件(ユ・ヨンチョル事件)」 2004年(韓国)

12
「バックパッカー連続殺人事件」 1994年(オーストラリア)
「ピーター・ファルコニオ殺人事件」 2001年(オーストラリア)

11
「女優シャロン・テート殺害事件」 1969年(アメリカ)
「ジェフリー・マクドナルド事件」 1970年(アメリカ)
「ケディ・リゾート殺人事件」(キャビン28事件)1981年(アメリカ)

10
「ビリー・ミリガン事件」 1981年(アメリカ)
「22口径連続殺人事件」 1978年(アメリカ)

09
「ケープマン殺人事件」 1954年(アメリカ)

08
「米カリフォルニア州少女18年間監禁事件」 2009年(アメリカ)
「オーストリア・ウィーン少女監禁事件」 2006年(オーストリア)
「オーストリア実娘24年間地下監禁事件」 2008年(オーストリア)
「米オハイオ州3女性・10年間監禁事件」 2013年(アメリカ)

07
「新潟少女監禁事件」 2000年(日本)
「大阪ペッパーランチ強盗強姦(レイプ)事件」 2007年(日本)
「赤毛布(赤ゲット)の男事件」 1906年(日本 福井県)

06
「ジョン・ウェイン・ゲイシー事件」 1978年(アメリカ)
「ひかりごけ事件」 1944年(日本 北海道)
「キャメロン・フッカー 米女性監禁事件」 1984年(アメリカ)

05
「八仙飯店10人猟奇殺人事件」 1985年(中国・マカオ)
「香港人肉厨房事件」 1982年(香港)
「アンドレイ・チカチーロ 52人殺害事件」 1990年(ロシア)
「ジェフリー・ダーマー事件」 1991年(アメリカ)

04
「バニー・マン事件」 1970年(アメリカ)
「ウルグアイ空軍機571便遭難事故」 1972年(アンデス山脈)
「パリ人肉猟奇殺人事件」 1981年(フランス)

03
「フリッツ・ハールマン事件」 1924年(ドイツ)
「アルバート・フィッシュ事件」 1928年(アメリカ)
「エド・ゲイン事件」 1957年(アメリカ)
「エルメンドルフの屠殺人事件」 1938年(アメリカ)

02
「ソーニー・ビーン一族事件」 1500年(スコットランド)
「スウィーニー・トッド 悪魔の理髪師」 1810年 〜1859年(イギリス)
「ミニョネット号(イギリスのヨット)事件」 1884年(イギリス)

01
「インディアナ 少女虐待殺人事件」 1965年(アメリカ)



殺人と事件の事例」 は、
事件を風化させないためにも掲載しています


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犯罪を助長させる目的(意図)のページでは、ありません





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2019年4月05日より非公開








60
  ●「埼玉熊谷愛犬家連続殺人事件」 1995年(平成7年)

  2016年8月28日 更新 

 埼玉県熊谷市周辺 (立件出来たのは、 4人殺害)
 推定(実際は、30人以上と思われる)


 犯人
 関根元 
 風間博子

 共犯
 山崎永幸



 【実際の事件】(MURDER  CASE)

 「埼玉熊谷愛犬家連続殺人事件


 


 参考文献サイト Wikipedia
            NAVERまとめサイト
            無限回廊 他





 本件に入る前に
 類似事件が関西で起こっていた。

 それは、この埼玉の事件の約1年前に
 大阪で・・・

 1994年(平成6年)1月26日に
 長野県塩尻市の畑の跡地から女性遺体が発見され、
 主婦の遺体遺棄容疑で容疑者を逮捕。

 名を上田 宜範 (うえだ よしのり)。

 「 大阪愛犬家連続殺人事件 

 
 そう、逮捕されたのは、上田 宜範(39歳)

 筋肉弛緩剤で5人を殺害、自称 「犬の訓練士」 と名乗り
 金欲のために愛犬家など5名を手に掛けた。(殺害した)

 2005年(平成17年)12月15日 
 最高裁で上田の死刑は、確定する。





 では、本題の
 「埼玉熊谷愛犬家連続殺人事件」 に入りましょう。


 【夫婦を逮捕

 1995年1月05日(木)(平成7年) 

 埼玉県警は、
 埼玉県・熊谷市の繁華街の
 ペットショップ 「アフリカケンネル」 の
 経営者の関根 元(せきね げん 当時53歳)と

 その元 妻(1993年1月25日に離婚)で
 共同経営の風間博子(かざま ひろこ 当時38歳)の2人を
 死体損壊・遺棄の疑いで逮捕した。


 

 風間博子(左)  関根 元(右)


 この関根・風間のペットショップ 「アフリカケンネル」 は、
 埼玉県熊谷市の八木橋デパート前にあった。

 詐欺商法を繰り返しており、
 顧客らとの間でトラブルが絶えなかった。

 有名な例として 「子犬が産まれたら高値で引き取る」 と謳(うた)い、
 犬のつがいを法外な値段で販売し、
 しかし、いざ、子犬が店に持ち込まれると、
 関根は、難癖を付けて値切るというもの。

 たとえば、相場10万円の犬を800万で売るとか・・・
 相場の10倍、100倍で言葉巧みに売りつける。

 そのような商売の仕方を平気で
 顧客を騙す。


 ペットショップを経営する
 この元夫婦は、アラスカン・マラミュートのブリーダーとして名が知られ
 一時期、日本でブームにもなったシベリアン・ハスキーの仕掛け役で
 犬雑誌(愛犬の友)にも
 「アフリカケンネル」 の広告を毎回出し、この業界では、有名人だった。


 タレント・怪談話で有名な 稲川淳二が
 当時、「アフリカケンネル」 の広告に・・・

 
 しかし、1990年代 バブルが崩壊後、店の売り上げの減少に加え、
 豪華な新犬舎兼自宅の建設などにより、借金がかさみ、店の経営に行き詰まっていた。 

 熊谷市街から離れた、
 郊外に 万吉(まげち)というところに関根は、 「犬舎」 を持っていた。

 新犬舎(犬の繁殖場)の建設で関根は、1億4000万円の負債を抱えていた。


 アラスカン・マラミュートは、シベリアン・ハスキーに似ているけど別の犬種。


 実は、関根・風間の逮捕の約1年前に
 関西・大阪で起き、犯人が逮捕された
 「大阪愛犬家連続殺人事件」 があり
 それがマスコミで報道されると
 関東でも
 1994年2月中旬頃、埼玉でも類似事件がある、という事で
 マスコミが先行して一斉に報道をし始めた。

 しかし、当時、オウム事件によって
 また、残虐な事件なため、報道規制が行われ、
 阪神淡路大震災も発生し、あまり報道されなくなる 

 次第に この事件をマスコミが扱わなくなり消えていった。
 そして その後は、オウム事件一色になった。




 
 関根 元(左)      風間博子(右)


 【仕組まれた運命

 1983年(昭和58年)10月。

 関根 元(当時41歳)が
 ドッグショーで風間 と会ってから
 風間 博子(当時26歳)の家を
 頻繁に訪れたことから二人は、
 意気投合をして やがて結婚する。

 その結婚の3ヶ月前
 1983年7月、
 風間 博子の父親が心不全で急死
(噂では、関根に殺されたのだと・・・)


 関根 元にとっては、7度目の結婚で
(うち3人と復縁しているので、
 配偶者としては、風間は、実質的には、4人目になる)、
 風間にとっては、2度目の結婚であった。

 風間の実家が資産家(風間不動産)であることから、
 関根が財産目当てに結婚したとも言われている。

 実際、 そうなのかもしれない・・・。
 風間は、日頃、そういう噂を知っていた。

 その一方で、風間博子のブリーダーとしての成長ぶりや、
 金銭管理能力の高さから、関根は風間に対し一目を置いていた面もある。

 だけど互いに愛人(博子には、山崎や殺害された遠藤さん)がいたり、
 関根には、若い女性従業員や殺害された関口さんとやってたりと・・・

 関根が風間や風間の連れ子(息子 長男)に対し、
 激しい(DV)暴力を振るっていた。

 それでも それぞれの才覚を発揮しながらペットショップを経営しており、
 ある意味、互いに支え合っていたパートナーといえる。

 ちなみに関根と風間の間に1人 娘がいる。





 「関根 元」(せきね げん)
 1942年(昭和17年)1月02日、
 埼玉県秩父市生まれ。

 幼少の頃から極度の虚言癖、ホラ吹きでよく知られていた。

 関根の生い立ちの詳細は、不明だが
 埼玉県秩父市生まれということで
 山窩(サンカ)出身者の可能性があると思われる。

 埼玉の秩父地方の中心には、昭和初期まで
 数百人の山窩(サンカ)出身者が居たと云われる。

 ※山窩(サンカ)とは、日本全国の山間部を生活の基盤とし、
 夏場の川魚漁、冬場の竹細工(箕 み)を主たる生業としながら
 子供は、学校には、行かず、山野を渡り歩く漂泊民たちの事。
(要は、山々に移動しながら住み着く人々)
(被差別部落者と似てるが山窩とは、敵対関係だと云われる。)
 
 その山窩(サンカ)の漂泊民の割合は、古来の縄文日本人や
 日本に密入国した中国・朝鮮半島(韓国)の人々も含まれる。

 ネット上には、それ故(ゆえ)に
 関根 元は、在日韓国人と云われる。(実際に在日かもしれない)
 だけど真偽は、不明。



 関根 元は、ペットショップ 「アフリカケンネル」 の創業者で、
 実質的な経営者。

 ペットや猛獣の扱いにかけては、天才的で、
 ブリーダーとしての腕は非常に優秀だった。

 また、シベリアン・ハスキーブームの仕掛け役、立役者
 アラスカン・マラミュート  の第一人者とまで言われた、業界の有名人。

 かつては、生まれ育った
 故郷の埼玉県秩父市で、ペットショップや動物リース業を営んでいた。


 しかし、顧客に売った犬を盗んでは、別の顧客に売ったり、
 客に売った犬を毒殺して新たな犬を売りつける等、
 当時からあくどい商売を繰り返していた。

 また、トラやライオンなどの猛獣も扱っており、
 近隣住民から恐れられ、嫌われていた。

 その後、付き合いのあった暴力団とのトラブルなどが原因で、
 一時期、元自衛官(新井良治)の静岡県伊東市に
 姿を眩ますが、1982年(昭和57年)、
 埼玉県熊谷市で 「アフリカケンネル」 を開業した。


 関根は、顧客に対し恫喝、脅し、暴力団関係者との交友などから、
 深い関わりを避ける同業者も多かった。

 また、ブリーダーの専門学校などは、
 就職先に 「アフリカケンネル」 と書くと
 あそこは、止めておいたほうがいいと諭していた。

 また、極度の虚言癖があり、自分が異端の経歴を持つ資産家であるよう装っていた。
 例えば 「東大卒」 とか、
 「私は、アフリカに、野生動物研究員として、国から派遣されていました。」 とか
 同世代からは 「ホラ元(げん)」 などと呼ばれていたらしい。

 尚、関根は、ヤクザの金に手をつけ、
 揉めて左手の小指を詰めている。




 「風間博子」(かざま ひろこ)
 1957年(昭和32年)2月19日、
 埼玉県熊谷市生まれ。
 「アフリカケンネル」 の登記簿上の社長。

 熊谷市では、一・二を争う不動産屋(風間不動産)のお嬢さん。

 大の犬好き。
 関根と知り合うまでは、真っ当な 普通の暮らしを送っていた女性だった。

 保育士をしたり、
 自宅が不動産業で土地家屋調査士であった父親を手伝うため、
 測量の勉強をしていたこともあった。

 若くして結婚し、実子を二人儲けたが、前夫とは、離婚している。


 関根との結婚後は、刺青(イレズミ)を
 彫らしてくれたという関根の先妻らに対抗意識を持ち、
 風間自身も、背中に龍の刺青を彫るなど、
 関根ワールドの一体感を深めていった・・・

 また、ブリーダーとしても成長し、
 ドッグショーでは、関根に代わってハンドラー(犬の調教師)を
 務めるなど、表舞台に立つことが多かった。

 関根との間に長女を
 風間は、1985年(昭和60年)6月に出産をしている。

 浪費癖の激しい関根とは、
 対照的に、金銭管理能力に優れていたことから、
 「アフリカケンネル」 の経理を風間が担当していた。

 逮捕後、比較的、早い段階から自供を始めた関根に対し、
 風間は、黙秘と冤罪を貫き通した。




 「共犯者」 の 「山崎永幸」(やまざき ながゆき)
 1956年(昭和31年)1月、富山県生まれ。
 ブルドッグのブリーダーであり、「アフリカケンネル」 の役員(専務)。

 


 この事件の共犯者の山崎永幸は、
 自分の子供の喘息の療養を目的に
 群馬県利根郡の片品村に引っ越し
 そこで近所のペットショップでブルドッグ犬を1匹、購入する。

 山崎の子供が 「1匹だけじゃかわいそう」 と言ったので2匹目を購入。
 その時の店員と会話した事でブルドッグのブリーダーをやってみようと思い立つ。

 そして、その地域の山崎のブルドッグ犬専門店 「犬屋」 は、大繁盛する。

 しかしながら、当時の妻が田舎暮らしに耐え切れず、
 結局、子供と共に東京に戻ることになった。(後に妻と離婚)


 逮捕時、山崎だったが
 手記出版後に離婚して旧姓 になり現在は、
 ペンネームを 「志麻永幸」 名義に変更した。

 山崎は、群馬県利根郡片品村でJR貨車2台を購入し
 それをL型に改造した住居(通称 「ポッポハウス」 )に住んでいた。

 1992年(平成4年)9月、山崎が36歳の時、
 ジャパン・ケンネル・クラブ主催のドッグショーの会場で
 駐車場に止まる車のワイパーにチラシ(犬屋)を挟んでいる時に
 関根と初めて会話を交わす。

 山崎は、関根の経営哲学を学ぼうとして 「アフリカケンネル」 を何度か訪れるうち、
 誘われて同社の役員(専務)となった。

 だが、実質は、
 関根の運転手や手伝いをしていた単なる従業員に過ぎなかった。


 最初の川崎昭男さん (当時39歳) の事件の際、
 山崎は、関根から脅迫を受け、遺体を運搬したほか、
 自宅 「ポッポハウス」 を遺体の解体場所として提供をし、
 死体損壊・遺棄の犯行に加担した。

 自宅が山奥にあり周囲に人家がなかったこと、山崎は、妻(前妻)と
 離婚して一人で暮らしていたことなどから、
 犯行には、最適な場所だった。

 関根に怯えながらも、山崎は、
 稲川会系八木田一家の高田組の
 遠藤安亘さん、 (51歳) と
 住み込み運転手の和久井奨さん (21歳) の事件でも
 同様に犯行に手を染める。

 関根の脅迫に恐怖し、自身や家族に危害が加わるのを恐れた。

 また、物証がほとんど残っておらず、(ボデーを透明にする。)
 仮に自首しても、関根の犯行が立証できるかどうか不安も抱いていた。

 ただ、山崎もこの事件にかなり加担していたのも事実。

 1995年(平成7年)1月08日に 山崎永幸 逮捕


 捜査段階で、
 実は、事件の解明に山崎は、全面的に仕方なく協力している。
(協力する理由があるのだが・・・ 司法取引のようなもの)

 逮捕される前の約2ヶ月前
 1994年(平成6年)10月17日、
 山崎に対する任意の事情聴取が行なわれた。


 翌日、1994年(平成6年)10月18日
 しかし、山崎は、妻(新しい妻)と共に逃走を図る。

 これを機に捜査当局は、
 山崎の妻(新しい妻)の逮捕令状を取得し、指名手配を行なうこととなった。

 山崎夫婦は、逃走も一ヵ月もすると金も尽きてきて
 警察に見つかったら、
 その時はその時と、山崎は、妻(新しい妻)と二人で東京に戻った。

 1994年(平成6年)11月20日、
 山崎は、川越署の張込みの刑事を見て逃走したが、
 山崎の妻(新しい妻)は、その場で逮捕される。

 逮捕容疑は、山崎の妻(新しい妻)の詐欺事件、
 勤務先の建設会社から5千万円を横領したというものだった。
(この事件が本当かどうか)


 しかし、実際は、痴話喧嘩のもつれに端を発する事件であり、
 被害者の処罰感情もかなり低いものだったといえる。

 それ故(ゆえ)に山崎の妻の詐欺事件の立件の実際の本来の目的は、
 関根の共犯者、山崎に対する圧力とゆさぶりであることは明らかだった。

 その結果、山崎は、1994年(平成6年)11月24日に
 担当刑事との接触を図り、事態の打解を図ることとなり、
 その後の取調べに応ずることを承諾することとなった。

 取調べにおいて簡単に 
 「関根事件」 についての関与を山崎は、認めるわけは、なかったが、
 「お前が目的ではない、関根の逮捕が目的なんだ」 という担当刑事の言葉だった。

 1994年(平成6年)12月08日から、
 山崎は、事件についての供述を始めるに至った。

 それは、常に自分の妻(新しい妻)の処分が念頭にあった。

 山崎の妻の保釈は、それでも実現しなかった。

 山崎は、地検熊谷支部で、岩橋義明検事の取調べを受ける。

 山崎は、妻の保釈を頼み、
 岩橋検事は、「年内は、無理だが年明け一番に出す」 と約束した。

 岩橋検事による聴取は、1994年(平成6年)12月27日まで続いた。

 翌年 1995年(平成7年)1月05日、(関根・風間が逮捕された日)
 山崎は、妻の国選弁護士の事務所を訪れ、妻の保釈申請するように頼んだ。

 山崎は、「自分は、大きいヤマで警察に協力している。
 協力しなければ解決できない事件なので自分が喋らなければ警察が困だろう。
 喋る代わりに自分は、捕まっても起訴は、しない また女房は、保釈される、
 そういう、岩橋検事と約束ができている、申請さえしてくれればよい」 ・・・

 そのような約束などありえないと弁護士は、訝(いぶか)しいと思った。
 でも 結局、山崎の申し出に応じ、12時直前に妻の保釈申請を出す。

 また、山崎は、「関根事件」 を喋る代わりに 「女を抱かせろ」 と条件も出した。
 これは、検察による利益供与、そしてセックス供与である。


 訝(いぶか)しい = 怪しく 疑わしい


 山崎の言った通り、
 その日(1995年1月05日)のうちに保釈が許可され、
 山崎の妻(新しい妻)は、やっと釈放された。

 さらに保釈の検事の意見書には、
 保釈相当かつ保釈金200万円と記載されている。


 1995年1月08日、山崎永幸 逮捕される。


 1995年1月20日、
 山崎が20日間の勾留期間中に
 埼玉地方検察庁熊谷支部に行ったとき
 資料室と執務室で
 山崎の妻と元妻と2人きりにさせてもらい、
 そこでセックスしたと後の法廷で証言している。

 検察側は、利益供与は、認めたものの、
 セックス供与については、否定。


 逮捕・起訴しないハズだったのに
 ましてや、自分が保釈される予定だったのに実刑になり
 これに山崎は、激怒し
 裁判で証言を拒否したりした。

 関根 元 と 風間博子は、1995年4月04日、
 殺人罪で起訴された。


 結局、山崎は、懲役3年の実刑判決が確定し、服役した・・・

 1998年(平成10年)42歳の時、
 山崎は、8月28日に満期出所をしている。
(栃木の黒羽刑務所)

 あれだけ、事件に加担してるのに
 懲役3年は、刑期が絶対に短すぎる。





 川崎明男さんの事件(1人目)
 1993年4月20日(平成5年)

 埼玉県行田市持田に住む
 産業廃棄物処理会社役員・川崎昭男さん (当時39歳) は、
 犬を買うために たまたま、目に留まった
 関根のペットショップ 「アフリカケンネル」 を訪れた、

 この店に入った事により 関根と知り合い、
 親交を深めるようになっていった。

 当時、川崎さんの兄(道賢さん)が経営する会社が傾いていたことから、
 新しい商売を始めようと模索していた川崎さんは、
 関根が言葉巧みに勧める 犬の繁殖ビジネスに手を出してしまう。

 そして 「アフリカケンネル」 から
 ローデシアン・リッジバックのつがい(オス・メス 2匹)を計1100万円で購入。

 ローデシアン・リッジバックは、南アフリカ及びジンバブエ原産のセントハウンド犬種


 メス犬を入手したが、川崎さんの知人から その犬の相場は、数十万円であることや、
 高齢で繁殖に適さないことを知らされ、実際、10万円で売られていた。

 ここで川崎さんは、関根 元に騙されたことに気づく。

 また、メス犬が逃げ出し、繁殖が不可能になったことから、
 残るオス犬のキャンセルと代金の返還を求め、トラブルとなった。

 返還代金は、購入額、半分の550万円。

 当時、関根・風間の 「アフリカケンネル」 は金銭的に窮(きゅう)しており、
 関根と風間は、川崎さんに金は返せないと判断し、
 謀議の上、川崎さん殺害を決意した。

 関根と風間は、
 1993年(平成5年)1月25日に離婚をしている。

 それは、1992年(平成4年)12月、「アフリカケンネル」 に税務調査が入り
 担当弁護士から アドバイスをもらい
 税金対策のための離婚(偽装離婚)だとも言われている。

 離婚後の関根は、風間とは、別々になり
 山崎の 「ポッポハウス」 に転がり込み
 その中で山崎は、関根から、
 「俺は、殺しを十代の頃からやっていて、仲間も十人いる。
 最初に殺ったのは
 秩父のラーメン屋で、川崎は、
 32人目だ。俺が捕まったら、記事の見出しは、
 昭和の殺人鬼だな」 と聞かされていた。


 また、
 「人間の死は、生まれた時から決まっていると思っている奴もいるが、違う。
 それはこの関根 元が決めるんだ。

 俺が今日死ぬと言えば、そいつは死ぬ。

 明日だといえば、明日死ぬ。間違いなく そうなる。
 何しろ、俺は神の伝令を受けて動いているんだ」


 1993年(平成5年)4月19日
 関根と山崎は、川崎さん等とソープランドや寿司屋で遊興をして
 川崎さんを油断させた上で、言葉巧みに嘘の犬の代金返済話をした。

 同じく4月19日に
 関根は、風間に電話をし
 「山崎には俺の仕事で色々動いてもらっているので、
 山崎に用を言われたら出来るだけ動いてくれ」 と言われていた。


 そして問題の1993年(平成5年)4月20日の夕方、
 関根は、現金、550万を 「返金する」 と言って
 埼玉県熊谷市内、佐谷田の
 関根の自宅ガレージに川崎さんを呼び出した。

 川崎さんと黒の大型ワゴン車内(アメ車のダッジ・バン)で
 後部座席で談笑中に、
 関根が硝酸ストリキニーネ入りのカプセルを栄養剤と
 偽ってユンケルと一緒に飲ませ、殺害した。
 
 黒の大型ワゴン車(アメ車のダッジ・バン)の運転手は、山崎だった。

 その後、山崎に対し、
 関根は、川崎さんの遺体を見せつけた上、
 「お前もこうなりたいか?」
 「子供は、元気か?  元気が何より」 などと、
 山崎やその家族に危害を加えることを示唆して、
 山崎の三菱ミラージュで
 片品村の山崎の 「ポッポハウス」 に川崎さんの遺体を運び込ませた。

 関根は、 「ポッポハウス」 で
 そのまま遺体の解体作業に取り掛かる一方、

 関根が 「ポッポハウス」 から
 移動できるよう、山崎の三菱ミラージュを置いていったものと見られる。

 関根は、山崎に対しては、山崎の別の車、(トヨタ・カリーナバン)で
 関根の自宅ガレージに残された川崎さんの車(アウディ)を、
 取りに行かせ 都内に運ぶよう指示した。

 風間には、1993年(平成5年)4月20日の午後11時頃、
 山崎からの電話で 
 「車を東京に置きに行きたいんだけど、帰りの足のため一緒に行ってくれるか?」 と言った。

 山崎は、川崎さんのアウディを自宅ガレージで乗り換え、熊谷に戻った後、
 風間は、山崎から連絡をもらったとおり
 合流して2台の車(川崎さんのアウディと風間のマツダ・クレフ)で東京へ向かい、
 川崎さんの車(アウディ)を東京駅の八重洲地下駐車場に放置、
 川崎さんが自ら失踪したかのように偽装工作をした。

 この偽装工作の最中、
 風間は、山崎に対し 「うまくいったの?」 「あんたさえ黙っていれば大丈夫」 などと言い、
 事情を全て知っているような素振りでもあったという。


 熊谷で風間(マツダ・クレフ)と別れた後、再び山崎が(カリーナバンで)片品に戻ると、
 既に川崎さんの遺体は、関根によって解体されており、原型をとどめていなかった。

 遺体現場は、必ず山崎のポッポハウスの風呂場で
 解体時に出る血が川に流れて色がつくのを誤魔化すために
 バスクリンを大量に使用し
 また、骨を焼くときには臭み消しとしてコールタールや醤油をかけたりしている。

 1993年(平成5年)4月21日
 早朝、関根の指示で山崎は、骨や所持品をドラム缶で焼却。

 肉片などを、群馬県利根郡川場村の薄根川に、
 焼いた骨灰や所持品を片品村の国有林に遺棄した。


 同じ1993年(平成5年)4月21日、
 昼の12時頃、帰宅しない夫の身を案じた川崎さんの妻から
 風間のペットショップに 「社長いますか、社長を出してちょうだい」 との電話が掛かってきた。



 一般に、一連の事件の動機は 「犬の売買をめぐるトラブル」 と云われる、
 それが直接の動機になったのは、この川崎さんの一件だけである。


 また、埼玉県行田市の川崎明男さんの捜索願が家族から出され
 死体遺棄の共犯とみられる元会社役員(山崎永幸)の供述をもとに
 群馬県利根郡片品村の山林を捜索したのは、
 1994年(平成6年)12月13日。


 捜査員は、そこで雪の中から人骨とともに高級ロレックスの腕時計を発見。
 その高級ロレックスの腕時計の持ち主は、次に殺害される
 高田組の遠藤安亘 (51歳) 組長代行で
 その高級ロレックス腕時計の製品番号(シリアルナンバー)が一致した。




 遠藤安亘さんと和久井奨さんの事件 (2人目、3人目)
 1993年7月21日(平成5年)

 埼玉県北部の江南町(現在は、熊谷市)に住む
 稲川会系八木田一家高田組の遠藤安亘 (51歳) 組長代行は、
 関根と親交を有し、「アフリカケンネル」 での顧客とトラブルが発生した際に
 仲裁役を務めるなど、
 関根の用心棒的な存在であった。


 1993年(平成5年)5月中旬、
 川崎さんの失踪後、川崎さんの義弟が
 「兄貴をどこへやった」 と関根をしつこく追求。

 そこで
 関根・遠藤らが
 川崎さんの家族と話し合いを持つ事になった。

 組長代行の遠藤さんは、
 関根に疑惑を向けた川崎さんの家族との話し合いに同席したことから、
 関根が川崎さんを殺(あや)めたのではないかと察知し、
 一応、仲裁料100万を受け取っていたが
 再び関根に300万の金銭などを要求するようになっていた。


 やがて、遠藤さんに
 新犬舎の土地建物の権利証を要求された関根と風間は、
 このままでは、全財産を取られてしまうと危惧し、
 組長代行の遠藤さんを殺害することを決意した。

 その際、遠藤さんと常に行動を共にしている
 住み込み運転手の和久井奨さん (21歳) も、
 口封じのために殺害しなければならないとの結論に達した。


 1993年(平成5年)7月21日は、
 埼玉県熊谷市は、数十万人が集まる、熊谷うちわ祭の真っ最中。

 うちわ祭は、一般向けは、7月20日 〜22日の3日間)に開催される。

 1993年(平成5年)7月21日 関根・風間は、片品村から
 山崎の運転する車(トヨタ・カリーナバン)で遠藤さん方を訪れた。


 ただし、山崎の証言では、
 自分は、自分のメルセデス・ベンツで遠藤さん方を訪れたと言っている。

 しかも 最初に遠藤さん方を訪れたのは、
 関根と山崎(自分)だという事。

 また、関根は、風間に うちわ祭で午後9時過ぎに交通規制が解かれるため、
 午後10時に遠藤さん方に来るように指示・・・

 風間は、自分のマツダ・クレフを運転して、
 約束の時間に遅れた午後10時半頃、遠藤さん方に着いた。

 そして関根と風間が遠藤さん方に上がり込み、
 山崎は、遠藤さん方前に停めた自分の車(トヨタ・カリーナバン)の中で待機していた、
 との山崎の証言。


ここで疑問
 片品から乗ってきた山崎のメルセデス・ベンツは、何処に行った?
 そして いつから、山崎の別の車 トヨタ・カリーナバンがあったのか?
 片品で最初からカリーナバンで乗ってきたのじゃないのか?


 遠藤さん方内では、関根と風間が遠藤さんの要求に応じる振りをし、
 権利証を遠藤さんに渡して油断させた上、
 硝酸ストリキニーネ入りのカプセルを栄養剤と偽って
 遠藤さんと和久井さんに飲ませた。

 ただし 風間の証言によると
 マツダ・クレフで風間が遠藤さん方に到着すると
 関根と山崎は、既に遠藤さんの家の中に居た。
 風間が家に入ると、しばらくして遠藤さんが苦しみだしたという。

 遠藤さんは、間もなく倒れたが、
 和久井さんは、しばらく薬効が現れなかったので、
 関根らは、効くまでの時間稼ぎのために・・・

 風間が
 「遠藤さんが倒れたので救急車を呼ぶ」 と言って、
 誘導のために和久井さんを表通りを猛ダッシュをさせた。

 その後、関根と風間は、
 遠藤さん方前に停めた山崎の車(トヨタ・カリーナバン)に乗り込み、
 さらにダッシュして表通りにいた和久井さんを拾い、
 「遠藤さんが女を呼んでいる」 と言って山崎に車を出させた。

 埼玉北部の江南町内の荒川堤防沿いの人けのない道路を走行中、
 突然、助手席の和久井さんが苦しみだし、
 フロントガラスにひびが入るほど激しく苦悶した後、和久井さんは、絶命した。

 山崎の供述によると
 遠藤さん方に戻って遠藤さんの遺体を車(トヨタ・カリーナバン)に積んだ後、
 3人は、2台の車(メルセデス・ベンツ / トヨタ・カリーナバン)で分乗し、
 片品村に向かう前に埼玉・熊谷の万吉(まげち)犬舎に3人で寄ったとされ、

 それから その万吉(まげち)犬舎の駐車場に山崎のメルセデスを停め
 そこに駐車してあったのは、風間のマツダ・クレフ。
 
 そこで風間のマツダ・クレフを山崎が運転し助手席には、関根が乗車。

 遺体の乗ったカリーナバンを山崎がクレフで誘導しながら
 風間は、カリーナバンを運転していたとされる。


 そして それから群馬県利根郡片品村の山崎の
 「ポッポハウス」 に2台(マツダ・クレフとカリーナバン)で向かった。
 山崎の供述によれば・・・


 山崎のポッポハウスに運び込まれた2人の遺体は、
 風呂場で遠藤さん、和久井さんの順に解体された。

 関根と風間が共同で解体し、山崎は、包丁を研ぐなどして協力したという。

 関根は、山崎に解体作業を見せつけて脅し、
 また、風間は、演歌(『兄弟仁義』 『与作』)を
 鼻歌交じりに歌いながら解体していたという風にされている。


 7月22日の早朝、2体の解体が終わると、
 風間は、マツダ・クレフで単独、熊谷へ戻り、
 関根と山崎が遠藤さん、和久井さんの骨や所持品の焼却に取り掛かった。

 尚、肉片や骨灰などは、群馬県利根郡川場村の薄根川、
 群馬県利根郡片品村の塗川や片品川に遺棄した、
 という内容を山崎の当初の供述だった。

 ただ、熊谷署の捜査員の記した行動確認捜査日誌によれば、
 その7月21日、午後2時47分 〜 午後7時34分まで、
 埼玉・熊谷の万吉(まげち)犬舎を監視していたが、マツダ・クレフが
 そこに駐車してたという記録は、一切ない。

 7月21日の日中、風間のマツダ・クレフは、
 万吉(まげち)犬舎に駐車しておらず、ペットショップ近くの駐車場に駐車。

 また、山崎の供述によれば 山崎が群馬県利根郡片品村から乗ってきて犬舎に
 停めたままになっていたはずの自分のメルセデス・ベンツもまた、
 捜査日誌に記載されていない。

 風間の 「マツダ・クレフ」 は、
 昼の間、八木橋のペットショップ(アフリカケンネル)近くの
 駐車場に停めてあり、
 それで風間が熊谷市大原の自宅に戻ってから
 マツダ・クレフで遠藤さん方に向かった」 という
 風間博子の供述が正しい。

 この日の風間の 「マツダ・クレフ」 は、
 長女と一緒に午前11時頃、八木橋のペットショップに行った、
 「マツダ・クレフ」 は、ペットショップの駐車場に置いていた。

 風間は、午後4時頃、バイクで万吉(まげち)犬舎へ行っている。

 山崎の供述が虚偽であることが、これで証明されたことになる。

 自分のメルセデス・ベンツに乗ってきたという山崎の供述も、
 犯行に使われたトヨタ・カリーナバンで最初から行動していたというのであれば、
 辻褄が合い
 山崎自身、事前共謀を疑われるがゆえ、山崎の虚偽が証明される。


 7月21日を整理すると・・・

 実際には、群馬県利根郡片品村から戻ってきた時は、
 元々、山崎のトヨタ・カリーナバン(関根・山崎)
 メルセデス・ベンツじゃない。

 遠藤さん方を訪れたのは、
 メルセデス・ベンツじゃなく やはりトヨタ・カリーナバン(関根・山崎)
 遅れて風間のマツダ・クレフ(午後10時半頃)

 遠藤さん方に風間のマツダ・クレフを駐車している。

 犯行の帰り(午後11時20分頃)、
 埼玉・熊谷の万吉(まげち)犬舎に寄ったとされる、
 2台の車、トヨタ・カリーナバンとメルセデス・ベンツだが・・・

 トヨタ・カリーナバンには、遠藤さん、和久井さんの遺体が乗っている。

 山崎のメルセデス・ベンツは、元々、犬舎に無かった。
 風間のマツダ・クレフも午後2時47分 〜 午後7時34分には、
 犬舎には、無かった。
 
 そもそも風間のマツダ・クレフは、 元々、万吉(まげち)犬舎に寄っていない、
 和久井さんが絶命した後、遠藤さん方に3人乗ったトヨタ・カリーナバンで戻り
 遠藤さん方に駐車しっぱなしにしていたマツダ・クレフを
 遠藤さん方に戻った時、最初から風間が運転していると思われる。

 それから片品に2台連ねて向かっている。(トヨタ・カリーナバン と マツダ・クレフ)

 ただし、風間博子が犯した死体遺棄損壊の罪は、
 絶対に償わなければならない。 
 そういう意味では、無罪じゃない。



 関口光江さんの事件(4人目)
 1993年8月26日(平成5年)

 埼玉県行田市に住む主婦・関口光江さん(54歳)の
 次男(29歳)が
 「アフリカケンネル」 で働くようになったことから関根と知り合い、
 光江さんは、ラブホテルで関根と肉体関係を持つ。

 しかし、関根の新犬舎の建設や、
 暴力団の遠藤の強請(ゆすり)などにより、
 「アフリカケンネル」 が経営難に陥っていたことから、
 関根は、自分に信頼を寄せる関口光江さんに
 「アフリカケンネル」 の株主になるよう持ちかけ、
 出資金を詐取することを画策した。

 だが、いずれは、関口さんに株主話の嘘は、すぐにバレてしまうので、
 そうなれば出資金ばかりでなく、
 過去に関口さんに売った犬の代金
(アラスカン・マラミュート6匹、計900万円)の
 返還をも求められかねないことから、
 金を詐取した後で関口光江さんを殺害することを決意。

 また、関口光江さんとの交際を関根は、
 煩わしく思うようになっていたことも、動機の一つとされる。

 1993年(平成5年)8月26日の午後、
 関根は、埼玉県行田市内で関口光江さんを車に乗せ、
 ラブホテルに行き、出資金の名目で、
 当時の関口家のほぼ全財産である270万円を詐取した後、
 硝酸ストリキニーネ入りカプセルを服用させ
 その後、リードで関口さんを殺害した。

 関口光江さんは、最後まで関根を信じていたと思われる。

 関根から(川崎さんの事件と同じく熊谷市の関根の自宅ガレージに)
 呼び出された山崎は、
 後から車で現れた関根に またしても関口さんの遺体を見せつけられ、
 迫られて 遺体を片品村の自宅(ポッポハウス)に運搬した。

 関根は、川崎さんらと同様に関口光江さんを解体したが、
 山崎の著書によれば、
 その際、関根は、関口さんの遺体で屍姦(死体とセックス)を行ったという。
 解体後は、骨や所持品を焼却。

 関根は、屍姦をした後、山崎に 関口さんの遺体で 
 「お前もやってみろよ。冷んやりして気持ちいいぞ。」
 「気に入らない奴は、全部 透明にしちまえばいいんだ」

 ボデー(遺体)を透明にする・・・

 8月27日未明、関口さんの全てを
 群馬県利根郡片品村の塗川(ぬりかわ)に遺棄した。


 この事件では、全面自供をした山崎は、関口光江さんと一切、面識がなく、
 関根の自宅ガレージで遺体となった関口光江さんと初めて対面した。

 そのため、山崎が他の被害者とは、面識があり、
 殺害の直前・直後に現場に居合わせた川崎さん事件、
 遠藤さん・和久井さん事件と比較すると、立証が難しかった。

 また、風間が関与していた疑いは強いものの、
 山崎の目撃証言からは立証は、できず、関根の単独犯行とされた。

 2009年(平成21年)6月05日、関根と風間に死刑が確定。


 





 【関根 元が関わっていると思われる未解決事件】
 1984年(昭和59年)

 関根 元の周辺では、
 埼玉県秩父市などで少なくとも3人の男女が失踪している。

 埼玉県警は、関根らの供述に基づき、
 不明遺体の捜索を行ったものの発見できず、立件は、出来なかった。

 当然ながら ボデーは、透明にしてる ので 絶対に発見されない。
 なお、この他にも数名の失踪者や変死してる者が存在している。

 風間博子の父親が心不全で急死(1984年7月)
(関根が殺したって もっぱらの噂 その3か月後に2人は結婚) 
 そう、1984年10月に2人は、結婚した。



 1984年(昭和59年)2月11日 
 埼玉県秩父市の暴力団員 松葉会 多摩川一家の
 森田(当時51歳)が失踪する。

 関根の兄貴分で、森田と金銭トラブルがあった。

 関根が資産家(風間不動産)の娘である博子と結婚する際、
 協力すれば報酬(1000万円)を支払うと森田に持ちかけた関根であったが、
 実際には、支払わず、トラブルになった。

 その後、森田 「ちょっと出てくる」 と言って、
 自宅に迎えに来た車に乗って出掛けたまま失踪した。

 失踪前、森田は、周囲に 「近く、でかい金が動く」 などと話していたという。





 1984年(昭和59年)5月08日 
 埼玉県秩父市のトラック運転手 男性 F(28歳)が失踪。

 F は、関根が秩父で経営していたペットショップの店員をしていたことがあった。

 関根が F の名で勝手にペットショップ店の看板を作ったことから、
  F は、代金の取り立てに遭い、
 関根に立て替えた看板代金の返済を要求していた。

 近所のガソリンスタンドで F は、
 関根からの電話を受け、返済の約束をして出掛けたまま失踪した。





 1984年(昭和59年)6月上旬には、
 埼玉県深谷市の駅前にあるスナックの経営者の女性、
 新井せつ子さんが失踪。


 関根の知人である元自衛官 新井良治の妻、せつ子さんだった。

 新井せつ子さんの失踪の1年前、
1983年)(昭和58年)

 この頃、すでに元自衛官、
 新井の内縁の妻になっていた せつ子さんは、
 スナック店から自宅に戻ると 店であった出来事や、
 お客が話した事を新井に、話しをしていた。

 「犬が好きで、好きで、毎晩、犬と布団に寝ている女が、熊谷にいると
 お客さんが言っていたわ。」 ・・・と何気なく話した。

 それを聞いた新井は、金儲けで兄弟分の関根に紹介しようと思い
 調べていくと 「風間不動産」 のお嬢さん 風間博子(26歳)だとわかった。

 そして その後の埼玉県熊谷の荒川の河川敷での
 ドックショーに案の定、風間博子は、訪れて
 新井と関根のターゲットになる。

 そして 関根 元 と 風間博子は、そこで会話をし親しくなっていった。

 風間の実家にも
 関根は、何度も足を運んでいる。

 そして1983年(昭和58年)10月
 結婚(関根は、もちろん、金目当てで)する。



 せつ子さんの夫の
 新井良治は、静岡県伊東市で生まれ
 伊東市内の高校を卒業すると
 静岡にある自衛隊の駐屯地で自衛官になった。

 3年ばかり自衛官としてやっていたが、
 静岡県伊東市に帰り、暫(しばら)くは、
 運転手や建設関係の会社の従業員として働いていたが、
 性格が飽きっぽく何処も いつも長続きはしなかった。

 この頃(1983年 / 昭和58年)に
 新井は、運転手の仕事でたまたま、埼玉県秩父市に来ていた。

 そんな時、新井が秩父市内のスナック 『エリザ』 に寄り
 そこで 「関根 元」 と出会っている。

 元自衛官 新井良治は、
 妻のせつ子さんの高級外車を勝手に売却するなど、
 夫婦間で金銭などを巡るトラブルが発生していた。

 周囲の知人らが気付かぬ間に 新井の妻 せつ子さんは、
 翌年、1984年(昭和59年)6月に失踪した。


 元自衛官 新井良治の証言によれば、
 当時、些細な夫婦喧嘩で殴り殺してしまい、(花瓶で殴った)
 間違って自分が殺めてしまったのに
 新井は、妻 せつ子さんを病死として報告した。

 それから 新井は、関根に妻 せつ子の遺体の処理を依頼した。
 この事件については、
 関根は、死体損壊・遺棄にのみ関与したとみられる。


 1994年(平成6年)9月22日、
 埼玉県警は、関根の知人で、群馬県山田郡大間々町(現・みどり市)に
 住む元自衛官 新井良治を別件の詐欺容疑で逮捕した。


 元自衛官 新井良治は、警察の調べに対し、
 暴力団員の森田と自分の妻 せつ子さんの死体損壊・遺棄に関与を認め、
 関根が解体した妻の遺体を、自分が荒川に遺棄したことを証言
(トラックの運ちゃんの F 事件への関与は否定)。

 でも新井は、殺人罪の罪状には、なっていない。
 間違いとは、いえ、妻を殺しているのに・・・


 その新井の供述を元に、1995年(平成7年)4月、捜索が行われた。

 しかし、1984年(昭和59年)から11年の歳月が流れていたことに加え、
 遺棄現場とされる冠水橋の (旧 押切橋)が1991年に取り壊された際、
 川底が浚(さ)われたことから捜索は、難航する。

 1995年5月には、遺体の解体・焼却現場とされる熊谷市の旧犬舎も捜索したが、
 目ぼしい物証は発見できず、とうとう未解決事件となった。

 しかし裁判の公判では、関根・風間が 
 「暴力団員の森田だって殺してから
 約10年経つけど、未だに警察は、捕まえに来ない」 と・・・

 また未解決事件への関根・風間の関与を示唆をしたものだった。

 証人出廷をした元自衛官 新井良治の
 「関根の指示で暴力団員の森田の遺体を焼却、遺棄した」 との
 証言は、信用は、できるとされた。

 その他にも関根が以前、若い頃、
 アルバイトで勤めた秩父のラーメン店が火災に見舞われる。
 関根が金を盗み、ラーメン店主を殺害後、放火したとも言われている。




 尚、関根・風間の裁判に証人として出廷した際に
 ペットショップ(アフリカケンネル)役員(専務)の山崎永幸は、
 「(風間)博子さんは無実だと思います」 と明言している。
 また、風間博子自身が冤罪を訴えている。

 尚、関根元は、
 2017年(平成29年)3月27日
 収容先の東京拘置所にて多臓器不全で死亡。75歳。




 この 「埼玉熊谷愛犬家連続殺人事件」 を元に
 愛知県出身の映画監督 園子温(当時 50歳)が映画化している
 ただし、映画は、創作の部分が多く、
 忠実では、ない。
 職業 ペット・ショップの犬のブリーダーから 熱帯魚屋に変更している。

 「冷たい熱帯魚」 2011年 平成23年(Cold Fish

 
 

 関根 元役(映画では、村田幸雄) でんでん
 風間 博子役(映画では、村田愛子)黒沢あすか

 山崎 永幸役(映画では、社本信行)吹越満
 山崎の妻役 (映画では、社本妙子)神楽坂恵(現在 監督 園子温の妻)
 山崎の娘   (映画では、社本美津子)梶原ひかり ほか。