06 04月27日

続々と貴重な意見がでてきました

   私は小学校のころ、よく人をいじめていました。特に理由はないけれ
  ど、友達と一緒に。自分がさけられたり、自分が弱いと思われたくない
  し、自分だけよければいいと思っていた。
   それが中学1年の時、友達づてに、自分の悪口を教えられた。その時
  自分のしていた「いじめ」ということを後悔した。恥じた。自分を責めた。
  その時、友達に言われた一言で、自分を変えれレてよかった。
   自己防衛のため、自分より下の人をつくりたがる。だがそれは、本当
  に自分を守っているのか?私はちがうと思う。

 「自分を変えられてよかった」という一節があります。「変わる」ということがど
ういう意味を持つか、この人はとてもよくわかっているようです。
 当たり前のことなのですが、我々は日々成長しています。肉体的な成長が
中心です。目に見えてわかりますよね。では精神的な成長とは、どういうこと
かわかりますか。人間が精神的に成長する時というのは「変化」があった時
なのです。分かり易く言うと、自分の中で何かが変化した、と感じる瞬間があ
ったとしたら、その瞬間、ヒトは間違いなく成長しているということなのです。
 成長するヒトの特徴というものがあります。「頭が柔らかい」ということです。
頭が堅くなり、自分が自分がと、他人の意見を聞かなくなると、精神的に成
長できなくなるということでしょうか。「NewsWeek」という米国の雑誌に以前
載っていたのですが、日本人というのは、そういった成長が止まってしまい易
い民族だそうです。「いいよ、めんどうだもの、今のままでいいよォ」と考える
ヒトが多く、自分にとって何か新しいことを始めたり、幼い頃から抱いていた夢
を追うことをやめたりするヒトが多いのだそうです。言い換えれば、変化するこ
とを拒んでしまうということなのでしょう。
 上の意見の最後の2行に注目。

   私はこの前に先生が学級通信でのせた、IH君の手記を読み、
  胸が痛くなりました。学校は今の私にとっては、友達に会ってしゃべっ
  たり、通学や勉強は面倒なことだけど、大事な友達がいて、楽しい場所
  です。しかし、IH君だけではなく、いじめられて苦しんでいる人にと
  っては、学校=いじめ、という先入観というものを持っているのでしょうか
   私が学校に行きたくない時は、雨のトキと体調が悪いトキくらいです。
  私は死にたい、と思ったりするほど、おいつめられたコトはありません。
  いじめられたコトもありますが、それが学校に行かないまでにはいかな
  いし、一時的なもので、病気のせいで学校をずっと休んだりしただけで
  す。いじめてしまったコトもあります。でも、それも一時的にムシしてしま
  ったりしました。一時的でもとても相手を傷つけてしまいました。小学生
  の時でした。でも私は悪いことをしたと思い、その子にあやまりました。
  それから仲良くなりました。
   いじめをする人は弱いです。力的には強かったりするかもしれないけ
  れど、そのいじめていた人が、ひとりぼっちでいたら、絶対いじめるコト
  ができないと思います。団結力ってとてもいいけれど、悪い方向で団結
  してしまうと、悪い方にしかいきません。
   いじめている人は、何故人を選ぶのでしょうか?いじめているコトって
  楽しいのでしょうか?もっと広く見れば楽しいコトっていっぱいあります。
  私にとってはいじめるコト(本人たちはいじめているコトに気づいていな
  いかもしれないけど)をしている人は、それしかするコトがないのかと思
  うと、かわいそうです。
   でもいっぱいおもしろいコトってありますよね。誰かをいじめたりするグ
  ループは、いじめをしなければ、そのグループにいられないのでしょう
  か・・・それってほんとの友達っていってもいいのですか?

今回、ふたつの貴重な意見を紹介しました。どちらにも共通しているのは、複数
のヒトが集まって、ヒトをいじめる時の心理について、自分なりに分析し、意見を
述べている点です。よくかみしめて読んでもらいたいと思います。もちろん諸君
には、良い方向の団結力をつけていってもらいたいと思います。

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