07 05月08日

少々過激な意見もでてきましたが・・・

   僕も中学1年の時にいじめられました。しかし、今回のいじめのこと
  (学級通信)のように、僕は「死にたい」なんて言葉は決して出ません
  でした。「死にたい」なんて言葉より逆に、相手を殺してやろうと思った
  ことがいくつかあります。
   いじめられている時は、学校に行きたくないと、学校に行けば、奴ら
  を殺してやろうと、いつも思ってしまい、学校が休みの日は本当にあり
  がたかったです。けれどもそれは、1〜2か月ぐらいだったので、まだよ
  かったです。
   今回のIH君に関しては、僕とちがって、殺意より「死んでやる」
  という方が強かったのですね。

 丁度私が諸君と同じ年齢のころ「自殺することはカッコいい」なんていう風潮
がありました。仲の良い友人同士で一緒に自殺したり、自殺した芸能人の後
を追って自殺したり、言い方はとても悪いかもしれないけれども、一種のブーム
のようなものでした。「自分の命」ということについても、深く考えていくことが必
要ですね。
 上のヒトのパターンは、前々回の学級通信で紹介した、いじめをはねのけるパ
ターンに近いですね。

   俺の友達の○○の考えは「いじめられるのが悪い」だ。俺もそうだと
  思う。いじめられたから死ぬなんて、精神力が弱いということだと思う。
  いじめられたくなければ、いじめにまけない強い精神力をつければいいと
  思う。
   俺も小学生のころ、今よりひょろっとしていたので、少し暴力的なこと
  を受けていたけど、そんなことでは屈しなかった。小学校を卒業するころ
  には、暴力的なことをもう受けていなかった。というか、逆にやってやっ
  た。更にやられることがないように、格闘技を中学からやり始めた。それ
  からはやられることはなくなった。
   そのうち俺の考えも「やられるのが悪い」という考えに」変わった。やら
  れたくなかったら、やられないように自分なりに考え、努力をすることが
  大切だと思う。 

 いじめられていた自分を、変えていくことができたヒトからの心強い意見です。
先日のホームルームの中でも紹介した、いじめを受けていた少年が、努力の末
に自分自身を変え、強くなっていく小説「さよならブラックバード」(景山民夫著)
にも通じるところがあります。
 いじめる方、いじめられる方、どちらにも原因があるのではないか、いや、いじ
める方が悪い、いやいや、いじめられる方が悪い・・・今回諸君に考えてもらった
問題は、実はものすごく奥が深く、幅が広い問題だということに、気がついていま
すか?
 こんなちっぽけな紙切れの中で、いったい何ができるのか、と言われてしまえば
それまでなのですが、何もしないよりはマシなのです。諸君一人一人が、一回で
も真剣に考え、ノートに書いてくれたということは、とても大事なことなのです。

   私は、この学校に来て1年の時に、同じクラスの子がいじめのようなも
  のにあっているのを見たことがありました。毎日毎日いろいろな人にちょ
  っかいを出したり、他にもいろいろなことをしていました。
   私はちょっかいをだしていた子としゃべれたので、1回だけ「ちょっかい
  だすのやめなよ」と言ったことがあったけど、その時「わかった」と言った
  きり、やめることはなかった。
   私は、いつもいじめられているところを見るのがつらかったです。いじめ
  られとぃる人達のほうがもっと嫌でつらいんだろうけど・・・
   私も知らずに人を傷つけたりしているのかもしれませんね。自分も気を
  つけなくてはいけないと思いました。

何故大事なことかわかりましたか。過去においてこのヒトのように、勇気を出して
「やめなよ」の一言が言えるようになったり、現在のこのヒトのように、自分も気を
付けよう、という意識が諸君の中に芽生えたりするからなのです。

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