11 05月23日

担任教師を理解しましょう、前編

   数年前に「○○○高新聞」に載せるということで原稿依頼がありました。
  調子に乗って書いて提出したところ「ボツ」にされてしまいました。理由は
  「長すぎる」ということ。結局掲載されたのは、もっと短く書き直したものでし
  た。チト悔しいので、ここで発表させてもらいます。文字もワープロで見やす
  いでしょ。私のことを寄り深く理解してみてください。ええいっ読め! 

 「私の高校時代」について書いてください。なんて言われても、人様に話せるような大し
たものはない。それでも中学校までさかのぼってみると、なんだか人様に話できるような
こともいくつかあると思うので書いてみる。私は昭和四十年に東京の杉並で生まれ、その
後すぐに神奈川県の横浜市に引越し、大学を卒業する二十五歳まで過ごした。だからこれ
からの話の舞台はそこということになる。
 小学校六年の時に、学習院と青山学院の中等科を受験した気もしたのだが、気がつくと
地元の「美しが丘中学校」という公立の学校に通っていた。一年の時に、五歳年上の兄の
お下がりのエレキギターをもらったことがきっかけで、音楽に興味を持ち始めた。同じ様に
ギターを始めた友人が何人かいたため、自然と放課後は誰かの家へ集まってのテクニック
自慢大会になる。バンドを組みたくても、皆が皆ギターなのでラチがあかない。そんな中、
どうしてもバンドを組みたかった私は、二年になった時、親にねだって、バンドというものに
必要な、ベースギターを買ってもらった。今振り返ると、親に物を買ってもらったのは、この
時が最後のような気がする。
 そんなこともあり、ようやくバンドのようなものを組むことができた。「ようなもの」というのは
まだ完全ではないからである。ドラムス担当がいない。なにぶん中学生でドラムを持ってい
るような友達などいないのだ。仕方がないから、幼稚園の時からの友人で、普段から何か
と言うことをよく聞いてくれる奴に押し付けた。ドラムを買えというわけではない。普段は段
ボール箱とお茶缶のふたをたたき、スタジオを借りて練習できる時は、本物のドラムをたた
けというのだ。そうして我々は本格的に(?)バンドとしての活動を開始し、いつ実現するとも
わからない、初ライブを夢見て練習をしていた。
 三年になり、新設校だったうちの中学校は始めての文化祭を迎える。我々メンバーの心は
踊った。なんといってもバンドを組んだ最大の目的には、「もてたい」ということがあったからだ。
「教室を借り切ってライブハウスにしよう」「音楽室の方が音響がいいぞ」「いや、放送室のス
タジオはどうだ」「ほ、保健室のベッドは・・・」様々なアイデアが飛び交い、盛り上がった。しか
し、先生達に話を持ち込もうと、職員室に行った我々は、どどーんと谷底へ蹴落とされたも同
じになった。全員が同じクラスでもないし、部活動として学校が認めている団体でもない、そん
な我々に、発表の場などあるわけがないというのである。
 「今から合唱部にでも入ろう」「いや、リコーダー部はどうだ」「ほ、保健部は・・・」どうしようも
ないアイデアを出しながらも、落ち込んでいた我々に、ある先生が声をかけてくれた。「顧問に
なってくれる先生を探して、有志団体という形をとれば、文化祭に参加できるんじゃないかな」
当然その先生に顧問をお願いし、我々のことを再度職員会議にかけてもらったのは言うまでも
ない。
 かくして我々の参加は正式に認められた。「どこの教室をかしてくれるのだろう」「やっぱり音
楽室がいいよな」「給食室なんてのもマニアックだね」「暗幕のある理科室もいいよな」「だ、だ
から保健室のさあ・・・」あれこれ思案したあげく、顧問になってくれた先生に教室の割り振り
を聞きに行くと、「そんなものはない」との言葉。一体どういうことかと問うと、文化祭二日目、
体育館での合唱コンクールや、学芸部舞台発表なんかの日に参加するのが条件だというの
だ。
 おいおいおいおいおい、ちょっと待てよと誰もが思った。文化祭二日目といえば、全校生徒
とその父兄、全職員と、ざっと見積もっても千人位の人数の前で演奏するのだ。そりゃ我々は
ライブハウスだの、もてるんだのと、言いたい放題のことを言ってきた。しかしそれは口先だけ
のことで、人の前で演奏するのは初めてのことであり、ドラムの奴だってまだ二回しか本物を
たたいたことがない。『こぢんまりとした小さな場所での演奏ならばなんとかごまかしのききそ
うな実は小心者の完全ど素人バンド』なのである。だからといってせっかくつかんだチャンスを、
みすみす無駄にはしたくない。「まあ、なんとかなるだろう」の合言葉のもと、再び練習が始まっ
たのは、本番三日前だった。
 かくして文化祭当日がやってきた。一日目はクラスの展示発表かなんかを見て「わあ、面白
いなあ」なんて余裕をかましていたが、今日は違う。朝からそわそわどきどき、何度緊張をほぐ
しにトイレに行ったかわからない。正直ビビッていた。私だけではなくメンバー皆がだ。そうこうし
ているうちに出番がまわってきた。「次は三年生有志によるバンド演奏です」と放送委員のアナ
ウンスが入ると、幕の向こうの客席が少しざわめいた。ボーカルが客席に向かって「いくぜー」
とはっぱをかけるが、幕の向こうは何も反応しない。メンバー同士「やべーよ、やめちゃおうよ」
と目で語り合うがすでに遅く、幕は上がっていく。すかさずドラムがカウントを始めて、演奏が始
まってしまった。

                      うわー、どうなってしまうんだこいつらは・・・次号を待て! 

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