12 05月24日

担任教師を理解しましょう、後編

 幕が上がりきってしまうと何のことはない。我々が最も恐れていた千人の観客たちが、証明の
関係でほとんど見えないのだ。緊張がほぐれ、間違えないように演奏することに集中できたもの
の、無我夢中だった。そのうち手拍子らしきものから、メンバーに対しての掛け声まで聞こえてき
た。最後の曲が終わる。とたんにアンコールの拍手に包まれる。レパートリーが五曲しかない我
々にそんな余裕はなく、幕が下がる。ステージ脇に行くと、出番待ちの合唱部員の「こんなに盛
り上がって私たちやりにく〜い」といった視線が待っていた。「あっという間の出来事」とはこういう
ことを指すのだと初めて実感した。
 文化祭から一週間、我々はルックスなんて大して良くないくせに、ただバンドをやっているとい
うだけで、もてていたのを鼻にかけていた。廊下を歩けば見知らぬ女子から手紙をもらったり、声
をかけられたり、今思うと本当に嫌な奴らだと思う。ちなみにメンバー中一番もてなかったのは、
もちろん私。
 そんな中、廊下を歩いていると、向こうから校長先生が歩いてきた。『うわっ、いやなんだよな〜、
あの校長。朝礼の話がやたらとなげーんだもん。話したこともないし早くあっちいかねーかな。ん?
ん?、なんだよ、こっちくんなよな、注意されるようなことは何もしてないぞ。えっ、なに、握手?握
手してくれるの、やだよ、俺は別にしたくないもん。あ〜あ〜、握手しちゃった』「いやー、キミキミ、
私は感動してしまったよ。長い間教師をやっているけれども、生徒たちがあれだけ一つになって
盛り上げてくれたというのは初めてだ。ほんっとに素晴らしかった。これからも頑張ってくれよな、
本当にありがとう」ぽかんとしている私を置いて、校長先生はすたすたと行ってしまった。
 「おいおいおいおいおい、びっくりしたよ、今な、校長に呼び止められて握手されちゃったよ」休み
時間のため一ヶ所に集まっていたメンバーに話をすると、「何だ、おまえもか」との言葉。聞けばメ
ンバー全員が校長に呼び止められ、私と同じ目に遭っていた。なんだかわからない、言葉ではい
い表せない喜びのようなものが込み上げてきた。我々の心の中のランキングで、校長は赤丸急上
昇になった。
 やがて中学を卒業し、高校に進学する。メンバーは皆ばらばらの高校になったが、通学する電車
は一緒だった。私は神奈川県立の普通科共学「田奈高等学校」に進学した。県内で一、二を争う
程評判の良くない学校だったが、私はそこしか行く所がなかった。同じ中学からの友達はほとんど
いなかった。運動部に入って体を動かそうとも思ったが、やはり自分には音楽しかないと思った。
もちろん中学校時代の体験がそうさせたのだ。なんだかんだで、バンドを組むような友達もでき、
常に三つ以上のバンドを組むようになった。放課後の時間帯はほとんどそのために費やされた。
音楽を通じて他の高校にも多くの友人ができた。ヤマハ楽器渋谷店主催のバンドコンテストには、
毎回出場した。よく顔をあわせた他のバンドには、大槻ケンヂなんかもいた。自主ライブも頻繁に
開催した。
 二年も終わりに近づいたある日、電車の中で他校に通学している友人が、「拓はどうするんだ」
と聞いてきた。大学に進学するのなら、そろそろ予備校に申し込みをしなくてはいけないというの
だ。ぼんやりと大学進学は考えていたものの、私が通っていた高校は、就職する者がほとんどで、
進学ということに対しては非常にのんびりと構えていたようである。それとは裏腹に、友人達の通
っている高校は、もう予備校、受験勉強といった雰囲気に包まれていたのだ。それが普通だった。
その頃から、自分の進路について、ある程度真剣に考え始めることになった。
 大学に進学することに決めた。将来の目標として、やはり音楽でメシを食っていくことを第一に掲
げた。だったら学校なんて必要ないではないか、と思うかもしれないが、音楽を通じて更に多くの友
人を作るため、大学の音楽研究会に所属する必要性を感じていた。音楽で成功するためには、とに
かく人脈を多く作ること、そうすればそれだけチャンスに巡りあえる。大学を卒業した後、スタジオミ
ュージシャンとして仕事をしている兄の影響もあり、そんなことを常々思っていたのだ。もちろん自分
の才能を伸ばすことも大切だが。
 しかし人生そんなに思った通りことが運ぶわけがない。もうひとつ、教師になるということを第二の
目標として掲げた。自分自身、中学校の時、音楽を通じて人に認めてもらうことの大切さを学んだ。
またそれも、受け入れて認めてくれる先生方がいたからこそだ。本当に良い経験をさせてもらったと
思った。中学での文化祭に関した一連の出来事が、私自身の将来を決めたといっても過言ではな
いだろう。「音楽でも教師でも、人に何かを与えるといった点では共通している。え〜い、どっちにな
れるか自分を試してやれ」といったわけのわからぬ希望を持ったのだ。そのためには大学が必要だ
った。
 三年になり、週のうち何日かは、代々木にある予備校に通うようになる。バンドに費やす時間は前
と変わらないままだ。評定平均など無いに等しかったため、推薦などは問題外、入学試験での一本
勝負、今までやらなかった分の勉強を取り返さなければならない。学校側が始めてくれた補講にも
参加した。五十人いた参加者が、最後には私を含めて二人になっているということもあった。とにか
く、音楽に勉強に、結構一生懸命取り組んでいた時期だった。髪の毛もばっさりと切った。そして入
試の日がやってくる。
 目的もなしに高校生活を過ごすほど、つまらなく無駄なものはない。自分の可能性をどこまで引き
出していけるか、努力をするということは本当に大事なことだと感じた。学校に対する不満はあった
が、目標があったから卒業できたようなものだ。
 ちなみに受験はものの見事に失敗、浪人生活が約束される。「偉そうなこと言ってどーしてそんな
半人前の教師になっているんだ」ということに関しては、またの機会に言いわけさせてもらおうと思う。  

                                               理解しましたかね?

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