25 09月04日

1982年斎藤少年も17歳

 この文章を書いている今日は8月4日です。3日前の登校日に諸君と会ったばかり
です。日直の仕事で学校にいるのですが、昨夜というか、今朝から飲みすぎてしまっ
ていて、いつものように”上手に”文字が書けないので、再度ワープロのお世話になっ
てます。今日は私自身の高校2年生の夏休みの思い出話をします。諸君の目に触れ
るのが秋になろうが冬になろうが、夏の話は夏にしか書けないので書く。
 高校2年の夏休み、友人同士で初めての旅を計画しました。行き先は長野県穂高町
の友人の親戚所有の別荘、私を含めた小学校からの友人同士の貧乏な旅です。(警
告、生徒同士の外泊禁止)大柄な長髪のむさくるしいのが2人(1人は私)、無精ひげを
生やした格闘系が1人、常に10歳は年上に見られる奴が1人、動物系が1人という、今
の私だったら絶対に近づきたくないと思う5人の集団です。
 皆予算がないので、列車は一番安い各駅の夜行列車です。夜中の12時に新宿駅を
出て、朝6時頃に松本駅に到着する予定です。登山シーズンということで混雑している
中、2時間位前から駅構内に座り込んで、おいしい飲み物を飲みながら待っていました。
さぞかし嫌な集団に見えたことでしょう。
 そのせいもあり、自由席4人分のワンボックスをゲットしました。余った1人はチト金を
出して、平行して走る急行列車に乗り込みました。彼は今でも変わり者です。
 窓の外は暗闇で、映るものといえば自分達の顔だけです。お互いの顔を見ていても
仕方がないので、いろいろと語り明かしました。夜が明ける頃停車した駅で、車窓から
「高原弁当」なるものを購入、さわやかな朝の風を受けながら食べた弁当の味は、いま
だに忘れられません。残念なのは、どこの駅だかわからないことです。あーもう一度食
べたい。
 松本駅で乗り換えをして、穂高駅に到着、目指す別荘は駅から6キロ程度離れてい
るので、我々は迷わずタクシーに乗りました。気分だけはリッチな4日間の別荘ライフ
の始まりです。
 さて、4日間の食料を買い込まなければなりません。どう見ても別荘周辺にしれらし
き建物はありません。我々は探検と買い物を兼ねて、再び駅へ戻ろうという結論に達
しました。当然歩きでね。
 暑い、とにかく暑い。樹木の近くは驚くほど涼しく、さすが避暑地と思いきや、先程タ
クシーで通ったアスファルトの上は、目玉焼きでも焼けるのではないかという位暑い、
というか熱いのです。自然と上半身裸で歩くむさ苦しい集団となりました。それでも許
されてしまうというのが、旅の開放感と若気の至りなのでしょうか。
 1時間以上歩いてようやく駅に到着、西友で食料とおいしい飲み物を買い込み、再
び別荘向けて歩き出しました。皆の両手には荷物があります。タクシー代も馬鹿にな
りません。我々はテレビで見たことのあるヒッチハイクに挑戦することにしました。
 通過する車目がけて親指を立てます。するとどうでしょう、車が止まってくれるのです。
我々5人は見事2台の車に分乗して別荘に帰り着きました。その後は、毎回ヒッチハ
イクで用が足りました。地元のヒトも、我々と同じ避暑地観光のヒトも、乗せてくれては
いろいろと話をしてくれるのです。まだまだ人間捨てたもんじゃない、人情って良いもの
だな、と高校生ながら感じた瞬間でした。
 今の私がそんな場所に行ったとしたら、逆に乗せてあげる立場になるでしょう。はたし
て当時我々を乗せてくれたようなヒト達の様な、素直な気持ちで乗せてあげることがで
きるかどうか考えると、ちょっと難しい気がします。
 さて、別荘では何をしていたのかというと、男5人が力を合わせて初めての家事と格
闘していました。洗濯当番・風呂当番・食事当番とローテーションを組んで取り組んで
いました。中学校や高校で実習のなかった我々にとっては、何から何まで初めてだっ
たのです。私的には、スパゲティーを茹でたということが初めてでした。
 そういえば他人のパンツを洗うのも初めてだったけども、他人にパンツを洗われるの
も初めてでした。
 穂高温泉郷から温泉をひいている関係で、風呂の湯は温泉です。暇さえあれば、日
に何度でも風呂に入りました。男所帯ということもあり、そのうちに衣服を着用するの
が面倒になります。生まれたままの姿で別荘内を歩き回る男子高校生達がいました。
ぶらぶらとなかなか気分爽快なものです。
 とにかく初めてのことが多い旅だったのです。それだけ今の私に影響している部分が
多いのではないでしょうか。別荘外で何をしていたかということは、次の機会に話をしま
す。

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