30 10月13日

不幸自慢なら負けませんョ、私は

 なんだかますます修学旅行が近づいているのに、諸君達には自覚がないですよね。
それも当然かもしれません。なぜかというと理由が二つばかり思いつくからです。ひと
つは旅行に関したホームルーム等が少ないということ。もうひとつはパンフレット類の
作成や配布が無いということです。まあ、諸君に一刻も早くそういったものを配布でき
るように、我々も頑張っているので、もすこしまっててねって感じです。そういう意味も
含めまして、ワープロで失礼いたします。ちなみに来週は全体指導盛りだくさん。
 さて、その修学旅行も目前になっているこの時期に、いろいろと悩み事やら不安事
やら抱えている人が多いようなので、そんな話をさせてもらいます。
 世の中に「いいことづくめ」ということ、一から十まで、全てが自分のためになるとい
うことはありません。100パーセントいいというヒトはいないし、100パーセントだめと
いうヒトもいません。気に入らないこともあるし、いい感じだな、と思うこともあるのが普
通です。
 昨日は楽しかった、だから今日も楽しい、ということもない。学習成績がトップ、運動
神経はバツグン、性格も実にいい、顔もスタイルもいい、おまけに金持ち・・・なんて奴
はこの世には存在しないはずなのです。そんな人間は一昔前の少女漫画の中で見た
ことがあるだけです。(これとは正反対の、勉強はできない、運動は嫌い、性格は最悪、
顔は悪くてスタイル最低、おまけに金は持ってない・・・なんて奴はものすごく身近な感
じがするが、ここまでそろっているヒトもいないだろう)
 こういったことは、世の中の全てのことに言えることで、いいことづくめの学校はないし、
いいことづくめの家族も家庭もないということです。「いいことがないかな」なんてことば
かり考えていたら、かえってむなしくなってしまうのがオチだったりします。
 けれども諸君の多くは、あれもないしこれもないし、くだらない学校だ、つまらない家だ、
なんてことを考えてばかりで、いい所を見落としているのではないでしょうか。
 こんなことを言うヒトがいます。「学校で教わったことは、世の中に出てほとんど役に立
たなかった。学校で一生懸命やったってムダだ。三平方の定理は実社会じゃ使わないし、
方程式なんてのも使ったことがない。本当にムダだよな・・・」ところがこれは実に無責任
極まりないのです。
 世の中のことを役に立つか立たないかで分けて、役に立たないものは全ていらないな
んて言うのはただのわがままでしかないのです。このヒトの言い方だと、「実社会で使わ
ない」ものは役に立たない、ということになってしまいます。じゃあ、「実社会で使う」という
のはどういうことなんだ、と聞きたくなってしまいます。
 金勘定は実社会で必ず使うものだから、計算は役に立つとでも言いたいのでしょうか。
そうなると、音楽や美術なんていうものは、実社会では必ず使うものではないから、いら
ないということになってしまいます。そうやって実社会で必ず使うものを残して、使わない
ものをなくしていったとしたらどうでしょうか。実につまらないことになるのは目に見えてい
ます。
 よく「そんなことして、お前の一生の役に立つのかい?」なんて言う親がいますが、これ
も少しおかしいような気がします。人生に役立つ、役立たないなんてことは無視して、夢
中になれるものの一つや二つ、あったっていいのです。あれこれやった中で、自分にあっ
たものを探していけばいいのですから。
 頭から決めつけてしまうようなものの考え方だけは、私はしたくあえいません。いいこと
づくめの人間はいません。100点満点の理想的な親もいなければ、恥ずかしい話ですが
教師もいないでしょう。家庭なども同じことで、外から見れば平和でうらやましくなるような、
いい家族に見えても、少し立ち入って話を聞いてみると、結構ぼろぼろだったりします。
 まあだからなにが言いたいのかということになると、最初に書いたことなのです。「オレだ
けがこんな思いをしている」「わあ、あそこのウチはいいなあ」なんていうことは考えない、と
いうことなのです。世の中全ていいことづくめなんてないのだ、ということがわかればよいの
です。
 「オレは不幸だ」なんて思っているヒトでも、人によっては幸せそうに見られたりするものな
のだよ。必要なモノもあるし、不必要なモノもある。よいこともあるし、悪いこともある。そうい
った中で、自分なりの目標を見つけて過ごしていくのが諸君の役目です。

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