008 04月17日

まだ続く。 

 さて続き。皆様々な意見を書いてくれています。

 『この文章を見た時、僕はとてもショックでした。僕達と同じ年頃の少年が自らの命を絶っている。他人が人の人生を奪っていいのだろうか?それは絶対いけないことである!その人がいくら気に入らなくても、その人はひとりしかいなく、それを認めてあげられればとてもいいのにな、と思った。』
 →その人はその人しかいないのです。諸君は諸君ですよね、人は人です。「他人を認める」 言葉にするのは簡単ですが、行動にするのは結構難しかったりします。

 『僕はいじめが嫌いです。したいと思わないし、やられたくもないし。いじめをやってもしょうがないと思う。でもどこかしらで人は誰かをいじめたことがあると思う。それに、人が弱い者にあたってしまうこと、これはどうしようもないことだと思う。』
 →人が弱い者にあたってしまう・・・確かにあるかもしれません。「私はないよー!」 というヒトもいるかもしれませんが、これが 「者」 ではなくて 「物」 だとしたらどうでしょう。もっともっとあるのではないのでしょうか?ヒトではなくてモノにあたる・・・。これもあまり良いことではないですよね。ヒトはなぜ自分以外のモノやヒトにあたろうとするのでしょうか。

 『多分私もこの人と同じようなことをされたら、「死にたい、死んでいじめた奴らにわからせてやりたい」 と思ってしまうと思います。きっと皆一生で一回は死にたいと思うような時はあると思います。私もそう思ったことはあります。周りの人にしてみればたいしたことじゃなくても、本人にとってはとても苦しい嫌なことだと思うし、死にたいという気持ちの反面、「誰かに気づいて欲しい、助けて欲しい」 という気持ちも絶対にあると思います。』
 →実は、諸君の意見の中に 「誰かに相談すれば良かったのに・・・」、というものが結構ありました。けれども相談したくても言い出せない・・・というヒトも結構いたようです。このヒトの意見のように、周りのヒト達が気づいてあげる、助けてあげる、ということが、とても大事なことになってくるのではないでしょうか。

 「自分にとっての快適は、他人にとっての快適でなくてはならない」 といったことを前に書きました。ヒトに対する思いやりを持つ、ということです。そうすれば、このような悲しい事件が起こらなくなる可能性が高まる気がしませんか?「オレは自分のことでいっぱいいっぱいだよぉ・・・」 なんてヒトもいるかもしれませんが、これからは周りを眺めていく余裕も必要です。 


しゃーないやん、なるようにしかなれへん

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