012 04月23日

それでも続く。 

 「オレなんて生きている価値なんてないな」 当時中学生だった僕に突然放たれた言葉。冗談なのか、本気なのかを聞いた。次にそいつの口から 「死にたい」 と言う言葉が出てきた。正直、なんと言い返せばいいのやら、僕はまよった。確かあの時は 「死んでいいことあるか?」 と、問い返したのだと思う。で、今ではこの男、僕に相談したことを覚えていないようだがちゃんと高校に通っているらしい。
 僕も結構いじめの対象になっていた人間だったから、こいつ(上で挙げた男)の気持ちは分かってあげたつもりだ。だが、僕は 「死にたい」 とは思わなかったし、思いたくもなかった。理由を挙げるとすれば 「死んでいいことなんてない」 ということだろう。
 そんな僕がいじめられなくなったのは、中学で2年間担任になったO先生のおかげである。どんな先生だったかと言うと、外見は結構怖い人だったが生徒一人一人の話し、相談、どんなにささいなことでも真剣に聞いてくれる当時の僕にとっては 「めずらしい先生」 だった。
 今思えば僕は、その先生にいじめの相談はしなかったが、「勇気」 をもらったのだと思う。現にこうしてクラスの 「会長」 なんつーもんをやってるのだ。「たいしたもんじゃねーか」 と、たまーに思う。おそらくO先生がいなければ、今の自分とは全く違った自分がいたに違いないし、ましてはこの高校にいなかったと思う。おそらく落ちていたね。(笑)
 僕は 「いじめ」 には押しつぶされるパターンがあれば、それをはねのけるパターンの2つがあると思う。あまりこういう書き方はよくないが、学級通信で挙げられていたIHくん、(彼がやられたいじめと僕がやられたいじめでは差がありすぎるが)彼の場合、僕のいう 「押しつぶされたパターン」で、僕の場合が 「はねのけるパターン」 だったわけだ。彼のところにもO先生のような先生がいたら、もしかしたらこんなことにはならなかったと思う。いや、ならなかった。
 いじめとは 「なんらかのきっかけではねのけられる」 と、今でも思っている。今回、学級通信で挙げたものは、この先僕らは絶対忘れてはいけないことだ。忘れてしまえば、また同じことのくりかえしだ。今、僕らに出来ることは、人の嫌がる行為はせず、また、そういうことをやられている人がいたとしたら、それを無視するのではなく、そいつを助けるような行動をとることだと思う。
 いい人ぶる気はない。ただ、そういうやつが多くなれば多くなるほど、この世の中から 「いじめ」 がなくなるんじゃないかな?

 →読んでいるだけでかなりチカラ強くなってくるこの文章は、先週末に諸君にメッセージを贈ってくれた卒業生、 「江村」 君が2年前に書いてくれたメッセージです。当時の学級通信で紹介したものですが、諸君にも紹介しちゃいます。 


お茶も人付き合いも、まずは遠慮しない事 (by江村君)

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