088 09月24日

オヤジって嫌よねぇ。 

 元来、「タマ」 といえば、猫の名前の代表格か、小松政夫の 「お父タマぁ〜」 のギャグ(諸君にはワカラナイ)のどちらか(反論多数受付中)だったのですが、ここ最近赤丸急上昇なのが、アゴヒゲアザラシの 「タマちゃん」 でした。
 国民のタマちゃんフィーバー(死語に近いなぁ)をハタから見ているのは結構面白かったのですが、いつだかの新聞に 「タマちゃんをきっかけに、我々人間はもう一度自然との関わり方を考え直した方がいい」 という内容の投書がありました。諸君よりも若い世代のヒトだったと思います。
 たまたまタマちゃんがカワイイ(?)部類の動物だったからもてはやされたものの、オオウミヘビやオオダコ、いやいや、そればかりではなくイモムシやダンゴムシやらが我々の生活エリアに紛れ込んできても、同じような盛り上がりがあったのか・・・なんてコトを考えてしまいました。ま、そんなコトを含めて確かにタマちゃんは我々に何かを気づかせに来たのかも、なんて思ってしまいます。
 それでちょいと反省ネタ。
 昔は路上で亡くなっていた動物を見つけると、なんとかしてあげようという意識をたくさんもっていた私がいました。
 通学路で雀を発見した我々男子中学生6人組は、「よし、埋めてあげよう」 ということで、通学路にあった花壇の植え込みに雀を埋めました。毎日朝と帰りにそこを通過するので、一日二回必ず手を合わせていた中学生斎藤がいます。
 普段はタクシー(おいおい、贅沢だな)やバスに乗って最寄(もより)駅から通っていた高校生斎藤の放課後は、30分かけてその道のりを彼女と歩いて帰るのが日課になっていました。ちんたらいちゃいちゃ帰っていた、今見かけたとしたら許しがたい高校生だったようです。
 そんな中、住宅街の一角で猫を発見しました。「たくぅ〜、かわいそうだよ。埋めてあげようよ・・・」、その一声がなくてもなんとかしようと思っていた高校生斎藤は、近くで仕事をしていた作業員のオジサンにスコップを借りて穴を掘り、猫を埋めてあげました。
 今からは想像できないかもしれませんが、優しいココロの少年斎藤がいました。
 そんな淡い思い出からもう何年経ったでしょうか。この歳(何歳から 「この歳」 というのだろうか)になって、車を運転することが日常になった中年斎藤は、今まで以上に路上で沢山の動物を見かけるようになりました。犬、猫、鳥、狸・・・・・・その種類は様々です。けれども 「あ、ごめんね。今急いでいるから・・・」 なんて意識の元、その場をしのいでしまう中年斎藤がいるのです。
 なんだかコレって良くない気がします。タマちゃんのおかげでちょいと考えることができました。大人ってやーね。諸君はこんな大人にならないようにしてくださいね。
 それはさておき、ウタちゃんってかわいいよな。お持ち帰りして枕にしたい度100%です。 


新しいことを始めるのはみんなこわいんだよ。今のままで本当にいいの?

BACK