140 12月12日

今を生きる。 

 先日、大学の後輩が亡くなってしまいました。無念です。諸君には全く関係のないことだとはわかっていますが、彼女がここまで生きてきた、という証(あかし)を少しでも残したいと思い、書き記させてもらいます。
 部員の半数近くが一人暮らしをしている中、静岡出身の彼女も、アパートで一人暮らしをしていました。彼女の人柄からか、そこは週末になると皆が集まって、ドヤドヤと飲み会をする場所になることがよくありました。もちろんコタツで雑魚(ざこ)寝をして朝を迎えるのです。
 音楽系のサークルなので、当然彼女も音楽が好きでした。中学生の頃から洋楽ロックを聴き、ビシバシと楽器を弾いていた私は、「歌」 といえば曲のノリ優先で、「歌詞なんてどうでもいいじゃん派」 でした。ところが彼女はそうではなく、「歌詞が一番大切派」 で、たまたま同じアーチストが好きだったこともあり、ライブなんかに行くと必ず、「ホラ、拓さん。この歌には女の子の気持ちがものすごく歌われているんだよ。わかる?オトコはこういう歌を聴いて女心の勉強をしなくちゃ駄目なんだよなー」 なんてよく言われました。彼氏の相談を受けることも多かったのですが、私の相談にもよく乗ってくれました。
 大学4年生を2回もやった私は、彼女を含めた後輩達と接する時間が多かったからでしょうか、今思えばナニ気に後輩である彼女の影響を多く受けてしまっていたようです。もちろん歌は 「歌詞が一番大切派」 になってしまいました。見かけによらず 「花」 や 「植物」 が好きになってしまったこともそうです。勢いあまった私は、植木屋さんで仕事をしたこともあります。教室に何冊か置いてある作家、「中島らも」 を好きになったこともそうで、彼の主宰(しゅさい)する劇団も何回か観に行きました。ストーリー重視のサスペンス映画が好きになったのも彼女の影響かもしれません。私から見たら個性的なヒトであり、打たれ強く、意思の強いヒトでもありました。
 大学卒業後、周りになんと言われようと、趣味から始めた花の写真撮影は、そのうちに仕事になっていき、最近では雑誌や広告に掲載されるようにもなりました。家族のこと、お子さんのこと等、抱えている悩みも多かったようなのですが、年をとるとあきらめモードで守りに入ってしまう大人の多い中、困難なことがあっても、それを攻めながら人生を過ごしている姿に元気づけられたこともあります。ほぼ会うことがなくなったここ数年は、たまに彼女の運営しているホームページを開き、相変わらすやっているなぁ、とニヤニヤしている私がいました。
 数ヶ月前、彼女の御主人から重い病気にかかっていることを聞かされ、入院先まですっ飛んで行きました。久しぶりに見る元気そうな笑顔に安心し、心の中で 「うん、大丈夫だよな」 と思いながら帰ったのもつかの間、あれよあれよという間に悪化してしまい、先週7日、ついに帰らぬ人になってしまいました。享年34歳、人生まだまだ3分の1、あまりにも早すぎます。
 もちろん闘病中であっても守りに入らずに、自分のやりたいことにこだわりながら攻めていく、「今を生きる」 彼女の姿がありました。また影響を受けてしまいそうな私がいます。
 「今を生きる」 ということは、やはり大切かつ重要なことなのだ、と痛感させられました。ありがとう。
 贈りたい言葉はたくさんあるのですが、キリがないのでやめておきます。
 おやすみなさい、そしてお疲れ様でした。 


何度も宇宙を旅した。何度も地球を丸ごと見た。少なくとも、意識の自由だけは誰にも制限できない

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