186 03月06日

大冒険。 

 「電車の中が学生で混みあっていて、お年寄りが座れなくて困っていたようなので席を譲ってあげました・・・」 先日、とある生徒からこんな話を聞きました。嬉しくなったので、「それは素敵なことをしましたね」 と声をかけると、「いえ、当然の行為ですから」 と、逆に謙遜(けんそん=控えめな姿勢をとること)されてしまいました。よくよく考えれば、お年寄りや体の不自由なヒトに席を譲るなどといった行為は、彼の言う通り、「当然の行為」 でした。
 仕事柄、乗車中の態度が悪いだの、駅のホームでの態度が悪いだの・・・、なんていう苦情ばかり聞いてしまっているから、私の中で本来の 「当然の行為」 の感覚がマヒしてしまったようです。お恥ずかしい・・・・・・。私と暮らしている母が、その、お年寄りや体の不自由なヒトの仲間入りをしているので、こういった話を聞くと、嬉しくなって、安心するのです。
 寒かったり、体調が優れなかったり、誰かがいなければならない時は、私も母の定期通院に同伴するのですが、基本的には母一人で通院をしています。車で15分程度、我々からしたら大して遠くない距離の病院なのですが、半身の手足がちょっと不自由な母にとっては、それはもう大冒険なのです。
 まず2階にある我が家から降りるのに一苦労です。立って降りると危ないので、階段に座りながら一段一段ゆっくりと降りていきます。路上に降り立っても、危ないものはたくさんあります。ほんの数センチのマンホールの盛り上がりや、歩道と車道の段差は通過することができません。杖(つえ)をついて歩いているものの、体のバランスを取るのが大変なのです。病院の手配してくれる乗合タクシーも、一旦深く座ってしまうと、立ち上がるだけの踏ん張りが利(き)かなくなってしまうことがあるそうです。
 それだけではなく、歩いている横をヒトが通過する時の風圧や威圧感(いあつかん)だけでも、バランスを崩して転倒しそうになってしまいます。我々が転倒すると、かすり傷やアオタンが出来るくらいですが、年を取っているとそうはいきません。骨は弱くなっていますし、とっさに思い通りの受身など取れませんから、取り返しがつかなくなってしまうことだって充分にありえます。
 全てとは思いませんが、大抵のお年寄りや体の不自由なヒト達というのは、こういったウチの母のような思いをしながら外出をしているはずです。私達にとってのなんのこともない日常が、危険だらけの日常なのです。
 ですから、私的には世のヒト達に、座席を譲ったり、荷物を持ってあげたり、という行為以前に、そういったヒトの近くを通り過ぎる時のほんの少しの気遣い――― 「ゆっくり横を通る」 「間隔をとる」 等など・・・、の行為をしてもらえればありがたいな、と思うのです。
 母の外出時はもちろんのこと、最近では外出せずにウチの中にいる母に対しても、「元気なのか〜?生きてるのか〜?」 と電話をして確認している私がいます。呑み会などで遅くなる時なんかは必ずです。だって安心して呑めないんだもん・・・・・・。
 諸君には、上に書いたような 「ほんの少しの気遣い」 の出来るヒトになってもらいたいものです。そうすれば、私が安心して呑める世の中になっていくでしょ。
 うっしっし・・・。
 学年末試験最終日!頑張ってください。 


臆面もなく、一度捨てたものをひろう。一度決めたことを変える

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