39 12月15日

格好の悪い中年にならぬように

 中学校の時にバンドを組んで、文化祭の時に初めてヒトの前で演奏して・・・
なんていう話はすでにこの学級通信上で書いたことがあるので、諸君は知って
いますよね。(知らないなんていうヒトがいたら問題だ。あ、今度試験を』してみ
ましょうかね。試験範囲は今までの学級通信全て。しかも試験に学級通信の
バックナンバー持ち込みOK。みなちゃんと持っているのかね)最近はその彼
等と毎週のように会って呑んで騒いでいるのですが、先日はとうとうその面々
4人、オールナイトで音楽スタジオに入ってしまいました。
 何をやったかというと、とりあえずはぶっつけ本番打ち合わせなしで、中学校
の文化祭ステージの再現です。結果は当然ボロボロ。曲なんだか子供がいた
ずらして楽器触ってんだか、なんだかよくわからないモノでした。言い訳させて
もらうと、そんな20年も昔にやったことを、再現しなさいなんていうことがそもそ
も無理なのです。まあ諸君から見たら「35歳のじじいが無理しちゃって何をや
っているんだ」くらいのノリなのでしょうが。
 その後は皆楽器に慣れてきたせいもあり、それなりによっぱらっていた我々
じじい連中は、朝の6時まで楽しい思いをしたのですが、今日の話のメインは
そんなことではないのです。
 スタジオ終了後、恒例(朝まで呑んだ後は必ずやるのだな、変なヒト達)の
反省会を、牛丼屋でしている時に、やはり音楽をしっかりと続けていれば良か
ったのではないかという話になりました。中学校の文化祭をきっかけに、音楽
を通して感動を与えたりもらったりするとういう魅力にとりつかれてしまったとい
うのは、4人とも共通していました。皆それぞれ違う高校に進学し、そこでまた
新しいヒトともバンドを組みました。大学浪人をした後、それぞれの大学に入学
し、更に違ったヒトともバンドを組みました。そして大学を卒業し、それぞれが音
楽の道から離れていってしまったのです。簡単に言い換えると、音楽中心の学
生生活から、仕事中心の社会人生活になっていったのです。
 許されることであれば、皆音楽で仕事をしていきたかったという希望を持って
いました。ところが現実はそう甘くはありませんでした。大好きな音楽を仕事に
できるというのは、本当に限られた人間だけだと思っていたのです。あきらめな
ければ良いのだ、ということに気がついていませんでした。
 K玉が選んだのは大手家電会社です。T口が選んだのは国内人気bPの遊
園地を経営している会社です。N野が選んだのは出版会社です。そして私が
選んだのは教師でした。それぞれがその道を選んだ時に、音楽を職業にする
という道は断念したのです。そして約11年の月日が経って現在の私達がいま
した。要するに私たちは夢をあきらめてしまった「格好悪い中年」になっていた
ことに気がついたのです。それでもって朝から牛丼屋で酒呑んでいるのですか
ら、更に格好悪いったらありゃしない。
 実は当時私達と一緒に音楽に熱かった友達で、夢をあきらめずにひたすら音
楽を仕事にしようと努力を続けていた友達は、ほぼ音楽でメシを食い始めてい
ます。編曲家、作詞家、作曲家、ゲーム音楽家、音楽プロデューサー、ミュー
ジシャン・・・その職種は様々です。自分でギター製作会社を創ってしまった奴
もいます。皆、なにかしらの形で音楽が職業になっているのです。私達4人と比
べたら、めちゃくちゃに「格好良い中年」になっています。そんな友達を羨ましい
と思いながら「俺達もさー」なんて酒呑んでいる私達は、やっぱり格好悪いので
した。
 日頃諸君に偉そうなことばかり言っている私にも、実はこんな恥ずかしくて格
好悪い一面があるのです。「音楽を続けていれば良かった」と悔しく思ってしま
う時もあります。だからこそ、これからは同じような思いをしなくて済むように、自
分で決めた目標に関しては、途中であきらめたり、逃げ道を見つけたりしないで、
コツコツでも良いから達成に向けて努力していくことの大切さを改めて知ったの
です。
 諸君はまだ17歳です。私が熱かった頃とほぼ同世
代です。上に挙げた、何人かの夢や目標をあきらめな
かった友達は、今でも高校生当時の気持ちを忘れて
いないはずです。諸君の中にもし、熱い気持ちを持っ
ている者がいるのであれば、どんなことがあっても、
その気持ちを忘れないようにしてもらいたいと思いま
す。
 「できればいいな」というのは目標ではありません。
「絶対やってやる」というのが目標なのです。将来牛
丼屋で嘆くことがないように、今のうちから努力して
ください。

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