065 07月10日

続、がむしゃらだ。 

 極端に遅れていた勉強をやり直すには、他人と同じ方法ではどうにもならない。他人からは無茶に見えても 「自分を基準」 にして、自分だけのやり方を考え出し、それをやり通すしかないのだ。懸命に頑張りぬけば、必ず道は拓(ひら)ける。次第にオレは、自分らしい生き方を見つけ始めていた。
 受験勉強をしていく中で、古文に魅力を感じていたオレは、大学で古文を学んだ。中学、高校時代すでにさんざん遊んでいたので大学生になったからといって、とくに遊ぼうとは思わず、家庭教師や予備校のバイトをしながら古文の勉強に熱中した。家庭教師では、成績の良い子は断り、成績の悪い子を教えるようにした。オレ自身挫折(ざせつ)から這(は)い上がってきたので、挫(くじ)けている奴を這い上がらせてやりたかったのだ。また、頑張らなくても適当に生きていける時代、受験はそいつ自身頑張る経験をするいい機会にもなる。
 掛け持ちでやっていた代○木ゼミナールのバイトも調子は上々だった。そうこうしているうちに、卒業が近づき、代ゼミの講師にならないかとの誘いを受けた。オレもその気になったが、コネで簡単に入れてくれるほど、甘い世界ではない。結局新卒採用の試験を受けることになったのだが、やはり天下の代ゼミである。試験を受けに来るのは、超一流大学の連中ばかりでオレなんぞ見下ろすような奴らだった。
 「なめんなよーてめーら。オレは絶対に負けねーからな!」 とそのとき心の中で叫んだ。試験を受けることが決まってから2ヶ月間、4年間熱中した古文をもう一度復習しなおしていた。死ぬほど苦しかった受験勉強と比べれば、好きな古文の勉強などいっくらやっても苦にはならない。これも挫折からはいあがってきた効果かもしれなかった。そして、オレは代ゼミ始まって以来の最高得点を取り、古文の講師として採用されたのである。
 エリートとは 「選ばれたもの」 という意味だが、それならば自分の基準で自分を選んでやればいいのだ。こうして 「自分だけのエリート街道」 を作り、そこをつっぱしればいいんじゃないのか?そこで自分の目指した「てっぺん」がとれれば、他人の目にどう映ろうとも、「うまく」 生きられたことになるはずだ。そして、てっぺんをとるためには、理屈ぬきで一生懸命やることしかないと、俺は強く信じている。―――――現、代○木ゼミナール講師 吉野敬介先生談

 「がむしゃら」 まさにこの言葉がぴったりあてはまるハナシです。何をやるにも、これだけの気持ちで取り組んでいけたら・・・・・・。素晴らしいこと限りなしですが、なかなかそうはいきません。
 人生ってモノは、過ごしている中で、どこかで一回はこれだけの気持ちで取り組むことがあるのだと思うのだけどなぁ。
 この、↑吉野先生の本は、朝読用の本棚に入っています。是非読んでみてください。
 諸君にとっての 「がむしゃら」 って何ですか。今度教えてください。 


お互いのためになる解決案を話しあおう。そうしてはじめて、相手もこちらのことを考えてくれる

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