083 09月16日

スペシャルな言葉。 

 昨日は敬老の日。お年寄りを大切にしましたか。私も大切に。
 そういえば夏休み中に、24時間テレビなんてものを放送していました。その昔、私もコツコツと貯めた小銭を持って日本武道館に行ったことがあります。20年以上昔の話です。てーことはこの番組、ナニ気に歴史が深いんだな・・・。その時のハナシは後でするとして、今回は24時間テレビつながりってコトで、「ボランティア」 についてちょいと考えてもらいたいと思います。
 「自分の利益を考えずに、ヒトに対して何かを施(ほどこ)してあげる」 ことがボランティア精神でしょうか。厳密にいうと、ヒトばかりではなくて、モノや動物なんかも含まれる場合もありますし、「施す」 といった言葉の意味にも幅がありすぎますが・・・・・・。
 そもそもどうしてボランティア精神が存在するのでしょう。自分に利益もないのに、何でヒトのためにカラダを使ったりアタマを使ったりオカネを使ったりするのでしょうか。
 以前受け持ったクラスで、ボランティアに関したことを考えてもらいました。その時の感想にこんなものがありました。

 『中学校の時、皆で町の中を清掃した。最初は嫌だなー、と思って空き缶拾いをしていたけど、気が付くと友達とムキになって空き缶を探していた。知らないおばちゃんが 「ありがとう」 と声をかけてくれた。終わった後、なんだかいい気分になった』

 諸君の中にも同じような経験をしたヒトはいませんか。我々ニンゲンは、「ありがとう」 という言葉をかけられると、嬉しくなります。それだけではなく、「ありがとう」 と直接言われなくても、どこかで誰かのためになっているという行動をとるだけでも、嬉しくなってきませんか?また反対に、「ありがとう」 と言葉をかけたくなるくらいのことしてもらっても嬉しくなります。
 と、いうことは、「ありがとう」 という言葉は、言う方言われる方のどちら側にいても嬉しくなる、我々ニンゲンにとってはかなりスペシャルな言葉だといえます。そして、この言葉を中心に湧き出てくるのが、我々ニンゲンのボランティア精神といえるのではないでしょうか・・・、と私なりに考えてみました。
 「思いやり」 を持っているヒトというのは、こういったことを常に意識して行動にあらわすことが出来るヒトなのでしょう。そういったヒトって、一緒にいるだけで満足って感じです。
 世の中には、「赤い羽根共同募金」、「心の友運動」、「友情の絵葉書」 ・・・・・・といったさまざまな募金活動その他が存在します。コンビニのレジ脇にも募金箱が置いてあるように、日常の中にすっかり溶け込んできてもいます。そんな時、フツーに協力できる心を持っていたいですね。
 教室の床の上に小銭が落ちていることがよくあるし・・・、貯金箱でも置いておきますか。
 今週は文化祭の準備やらナニやらでバタバタしていますが、がががーっと乗り切って行きましょう!
 就職試験のヒトは頑張ってください。 


心の日光浴をしよう。元気と喜びの太陽エネルギーを吸い込もう

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