089 09月25日

ジジババ。 

 気がついたら敬老の日も秋分の日も終わっていました。ついでに諸君が初めて経験したであろう、本校の文化祭も終わってしまいました。ついでに演劇鑑賞会も終わっちゃったか・・・。
 以前の本校文化祭とは違い、かなりくだけた感じで、「文化>祭」 ではなく、「文化<祭」 だったので、生徒諸君が伸び伸びと参加(というか運営)していて、思わずニヤけていた私です。
 7組はクラスや有志として、「文化祭で何かヤル」 という企画がなかったので、諸君のほとんどが見て楽しむ側でした。あっちこっちに出ていた屋台やら、FLOWのライブやら、何かと楽しめたのでは、と思います。
 てか、本題からそれてしまったので、元に戻します。本題は敬老の日に思ったことです。 
新聞に投書欄というものがあります。いわゆる 「読者の声」 ってやつです。中には諸君と同じ、もしくはもう少し若い世代の意見もありますが、その多くは結構お年を召したヒトの意見です。もうじき仲間入りを果たす私がこんな言い方をしたらいけないのですが、諸君からしたらじじー、ばばー、といった類(たぐい)のヒト達です。
 さて、何故そういったヒト達ばかりが投書するのでしょう。紹介されている投書内容はというと、今の社会に関する意見、今の若者に関する意見、今のテレビ番組に関する意見、今の日本人のあり方に関する意見・・・・・・、等など、数え上げたらキリがありません。「私が若い頃は・・・・・・」 「昔の日本人は・・・・・・」 等といった意見が主だったものです。
 若かった頃(今も若いが)の私は、そういった意見を読む度に、「ふん、どーせヒマなじーさんばーさんがあっちこっち気にくわないコトを探して、文句ばかり言っているんだろう。それを載せる新聞も新聞だ!まったく・・・」 程度にしか考えていませんでした。だったら読まなきゃいいのですが、読んでしまうんだなぁ、コレが。こういったコトを話題に諸君と話したことはありませんが、諸君の何割かは私と同じ意見ではないかと、思うのです。
 けれどもね、諸君が快適に過ごしていられる社会を作ったのは、そのじーさんやばーさんの世代だってわかっていますよね。そのじーさんやばーさんが、どういう人生を歩んできたか、それをちょっとイメージしてみました。
 家族のため、日本のため、目いっぱい人生を突っ走って来て、仕事(家事や子育て含む)を引退して、ようやく世の中のいろいろな事に目を向けることができるようになったのではないか・・・・・・。こんな風に思ったのです。今の自分(我々)がいるのは、そういったじーさんやばーさん達がいたからだ、ということです。
 親に内緒でお小遣いをたくさんくれるのも、わがままを聞いてくれるのも、おじーちゃんやおばーちゃんじゃないですか。全てとは言いませんが・・・。
 身内でも他人でも、お年寄りを大事にしないといけないぜ。
 そういえば、せっかく席を譲っても、「私ゃ年寄りではない!」 と突っぱねられちゃう時はどうしたら良いですか、と以前質問されたことがありました。
 その場で腕相撲でもやって、負かしてから素直にお座りいただきましょう。 


分かち合おう。常に豊かでいるために

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