099 10月14日

ふざけるんじゃない。 

 今年度はその言葉を耳にしなくて済むかな、と思って過ごしてきたのですが、先週とうとう耳にしてしまいました。私が廊下を歩いている時、すれ違った生徒が、友人とじゃれあいながら口にしていました。幸いウチのクラスではありませんでしたが、ヒトゴトではないと思ったので、諸君にもハナシしておきます。とうとう耳にしてしまった言葉とは、「シンショー」 です。
 私なんかの学生時代にはありませんでしたが、諸君の世代だと、身体障害者という言葉を略してこう表現するそうですね。私はイチオウ国語の教師ですが、言葉を略して表現することに対しては、あまり抵抗を感じていません。この言葉の使われ方が、あまりにも醜(みにく)いのでカチーンと来るのです。
 仕草や、喋り方、また見かけがヒトとはちょっと違うヒトのことを、この言葉を使って表現したことはありませんか。「お前シンショーだなぁ・・・」 「あいつシンショーだからさぁ・・・」 この仕事に就いてから、というか、本校に勤務し始めてから、幾度と無く耳にしてきました。その都度、ため息と共に激しい怒りが込み上げて来るのです。ふざけるんじゃねえよ。
 「実際に身体に障害を持ってしまったヒトを差別している。だから実際に障害こそ持ってはいないが、障害を持っているような、仕草や喋り方や見かけのヒトを同等に扱い、その言葉を使って小馬鹿にしている」
 と、いうことなのでしょうか。最低です。彼らは自分達のやっていることが最低の行為だと、何故気がつかないのでしょう。ただ面白がって言っているだけだ、と言われるかもしれません。そんなの関係ない、と言われるかもしれません。けれども、面白がること自体おかしいし、関係ないなんて言い切ること自体、言語道断です。
 こんなことわざわざ説明しなくても、諸君位の年齢になれば解っていることだ、と、思っていた私がいけないのでしょうか。少なくとも諸君が卒業するまでの残り半年間は、こんな思いをしたくないので、当たり前のことを書いておきます。
 生まれながらにして、また病気や怪我によって身体に障害を持ってしまったヒト本人に、何の責任があるというのでしょう。見ず知らずの他人、また友達にそのことについて小馬鹿にされるなんてことはあってはならないことです。最低でもそれ位はわかってくれますよね。
 障害を持ってしまったヒト本人に対してではなく、実際の障害こそ持っていなくても、「シンショー」 なんていう言葉で、ヒトを小馬鹿にする行為は、そのヒトだけではなく、間接的に障害を持ってしまったヒト、そしてその家族や身内のヒトまでをも小馬鹿にしているという、最低の行為になっているということをわかって欲しいのです。
 ここまで読んでも、「そんなことどーでもいいじゃん」 なんて思っているヒトがもしいたとしたら、私の目の前に来て、面と向ってその言葉を吐け。
 もっとよく説明してやる。 


たとえ今が大変でも、幸せいっぱいの人生だと信じよう。どんな問題も絶好のチャンスとなるはずだ

BACK