105 10月22日

続、石井園芸。 

 渋滞した都内の道路を,トラックでたらたらと走っていることは、かなり退屈でした。そんなわけで、コーンスープに関しては、ほぼ全メーカーのものを飲んでしまいました。味の差も各社さまざまな中、当時もっともウマイと思っていたのは、某プロ野球球団を持っているメーカーのものでした。塩加減、味、コーンの食べやすさ(コレが結構なポイントになる。コーンが沈んでいると最後の一粒まで食べるのが厄介。浮いていると食べやすいが、粒の味がちょっと軽い。一長一短だな)等、総合的にポイントが高かったのです。最近は飲んでいないので、今でもウマイかどうかはわかりませんが・・・。
 コーンスープ以外の、「あったか〜い系缶飲料」 は、、ココア、おしるこ等の定番ものには目もくれず、コンソメスープ、ミネストローネ、クラムチャウダー、おでん等の、「なんじゃこりゃ系缶飲料」 を中心に飲んでいました。おでんの缶は上部がパカっと全て開くようになっているので、飲料というよりも食料でした。ここ最近は全く見かけなくなってしまいました。どこかで見かけたら教えてください。
 当時一緒に仕事していたヒト達は様々でした。一番の先輩格で古株は、社長とも幼馴染のようなカネコさんです。年は40近かったのですが、独身でした。その後御結婚できたようです。妙に手がモチモチしていたおじさんです。
 その下にいるのが中学卒業後、東北から上京してきたオノさんです。私よりもずーっと若く、温厚なヒトでした。植物の手入れをしている時が一番楽しそうで、仕事のノウハウをいろいろと教わりました。
 生まれ変わったら自転車のサドルになりたいなぁ・・・、と、自転車に乗っている女子学生を見る度につぶやいていたのはイシイさんです。自動販売機巡りは、彼と一緒の時によくやっていました。やはり私よりもずーっと若かったのですが、ちょっぴり変態なところで気があってしまったようです。
 オートバイやカートでサーキットを走るための資金を、この仕事で貯めていたハヤシさんは、ほぼ同じ年齢でした。彼のワンボックス車の荷台には、ロードレース用のバイクが積んでありました。夢を追っている、といった感じでかっこよかったです。
 大学卒業後、会計士を目指して勉強中だった同世代のイナガキさんは、常にクールを装っていました。けれども呑んでしまうと、かなりヤバくなってしまうところが魅力です。無事会計士になれたのでしょうか。
 高校を中退してしばらくプラプラした後、この仕事に就いたのはハシモトさんです。ほぼ同時期に採用された彼とは、年は全く違うのですが何かとウマが合いました。結構気が短く、ケンカ大好きなロン毛のおにーちゃんです。今で言う渋谷系のチーマーをイメージしてくれればよいです。飲み会で酔いつぶれてしまった彼を介抱してあげてから、私の言うことをよく聞いてくれるようになりましたっけ。二人で呑むことも多かったです。
 仕事の後、社長、奥さん、パートのおばさん、私達で、事務所で飲んだり、近所の屋台村(一時期全国的に流行ったスタイルの元祖。多摩堤通り)で飲んだりすることが、仕事以上に楽しかったです。
 社長や奥さんとは今でもたまに連絡をとっていますが、一緒にトラックに乗っていたヒト達とは、連絡が取れなくなってしまいました。「会いたい」 と真剣に思うヒト達です。
 諸君にもそんなヒト達はいませんか。 


ともだおれしよっか

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