106 10月23日

にーちゃんごめんよ。 

 さて、ぼちぼち進路の決まった諸君を中心として、学校から許可をもらったヒト達は、教習所に通い始める時期となりました。卒業後、社会の一員になると共に、交通社会の一員にもなるわけです。
 私が初めてクルマの免許を取ったのは、大学1年、20歳(1年浪人したからね)の時でした。バイトの給料が入る度、路上教習(当時1時間3000円程だったか)を受けることができたため、結構のんびりと取ることになりました。
 教習費用を出すのが精一杯だった私には、当然車を買うだけの余力は残っていません。けれどもクルマに乗りたいという願望はぶぶぶ〜っとふくれていきます。「そうだ、にーちゃんのクルマを借りちゃおう・・・」 兄に頼んで何回かクルマを借りるようになりました。兄のクルマの運転にも慣れてきたある日、何かの映画で見たシーン―――全開になったクルマの窓から片手を出し、カーステからは大音量でアップテンポのロックを流し、サングラスをかけて運転する・・・―――をやってみたい、という欲望にかられました。
 私の顔でもかけられる、やっと見つけた大きめのサングラスをかけ、当時好きだった(今でも好きだが)アメリカ南部のロックバンドのカセット(カセットだって。古!)をかけ、全開にした窓から腕を投げ出して、御機嫌状態で車を運転していました。
 とある商店街にさしかかると、八百屋の前に、よくある青色のトラックが路上駐車をしています。「フンっ、邪魔なクルマだぜ!」 と鼻歌まじりにその横をすり抜けようとした時、ガガガガガー、っと、車外からモノ凄い音がしてきました。
 な、な、なんだぁ〜!と、少し離れた所でクルマを停め、ボディーを点検すると、左側面、助手席側ドアに、見事な青色ラインがずずずい〜、と付いていました。「ああ、やっちゃった・・・」 という思いより、「ああ、にーちゃんに怒られちゃう・・・」 といった気持ちの方が大きかった、運転ヘタオトコがそこにいました。幸いトラックの方には傷ひとつついていませんでしたが、兄のクルマはそのままにしておくわけにはいきません。カーケア屋で道具を購入、即行修復してナニゲない顔して兄にクルマを返しました。今回、兄がこの原稿を目にしたとしたら、初めて事実を知ることとなるでしょう。にーちゃんごめんよ。あの白色の日産オースターだよ。
 その後、ようやく自分でクルマを購入できるようになり、何台か乗り継いできました。前を走るクルマは、自然と道を譲ってくれるし、渋滞車線に割り込む時も、すす〜っと割り込みが出来てしまう、一歩間違えれば、その筋のヒトが乗っているのではないか、と思われるようなクルマに乗っていた時期がありました。街中で見かける同車種のドライバーの多くは、ワガモノ顔で荒く強引な運転をするヒトが多い、左ハンドルのクルマです。そのクルマに乗っていた時、いつも以上に心がけていたことがあります。
 道にもヒトにもやさしく紳士的に運転しよう、それがこのクルマに最もふさわしいんだ・・・、と。
 これから免許を取る諸君にも、是非心がけてもらいたいことです。
 そのクルマ、ワケありでなくなっちゃったんだよなぁ。
 今ごろはどこの大陸を走っているんでしょ。
 アヴァンギャルド君。はふ。 


友達は悲しみを半分にしてくれる

BACK