122 11月18日

元気をもらえ。

 (どうせ親がいないのなら、僕は生まれてこなきゃよかったんだ)
 僕は何度か、そう思ったことがあります。僕は三歳ぐらいまで大村の乳児院で育てられました。でも、そのとき親がいる、いないなんて知るわけがありません。そして島原の児童養護施設の太陽寮に入寮しました。
 太陽寮に来て親がいないと気付いたのは、小学校の頃でした。太陽寮では年に二回、お盆の一週間と正月の一週間、親が迎えに来て帰られる時期があります。いわゆる帰省です。その帰省の時は親が来て、みんな笑顔で自分の家に帰っていく。僕は絶対来ると信じていました。だから、(家に帰ったら何をしようかなぁ)と考えていました。
 でも、僕の親は来ませんでした。僕はその時、「何で帰れないんだ」 と腹がたっていました。みんなが笑顔で帰っていく姿に腹が立ちました。何で来ないんだ、と、すごくいかりがこみ上げてきました。だから僕は寮の先生に聞きました。
 「僕の親は来るんですか」
 「分からないね。今度、来るかもよ。今回は先生達と他のみんなと過ごそうね」
 そう言われました。でも、その 「今度」 も、またその次の帰省の時も、親は来ませんでした。だから、僕は、今まで一回も帰省したことがありません。僕には親がいない。そう自覚しました。とっても悲しかった。
 僕は時々、ここから逃げ出して、親を捜したいなぁ、という気持ちになったりします。自分のそんなひ弱な気持ちで、二回、無断外出をしてしまいました。そのとき僕は、とっても楽しく、寮の先生や学校の先生の気持ちなど全く考えていませんでした。寮に連れられていったとき、寮の先生に、ひどくしかられました。でも、僕は、それでも見つかった事に腹がたっていました。
 すると、僕の担当の先生が心配して泣いてくださっているのに気づきました。僕は 「なんてばかな事をしてしまったんだろう」 と、悔しくて、切ない気持ちになってきました。僕は、深く反省しました。先生はこう言われました。
 「誠は逃げても、行く所がないじゃないか。誠の家は、ここしかないんだ。ここで立派な人間になって巣立ってほしいんだ。だから、明日からまたがんばれ」 と。
 言われてなんだかうれしくなりました。僕は、しかられて幸せ者だなぁと思いました。親がいない僕を心からしかってくれる人がここにいるからです。
 僕は、もう十三年間も太陽寮で生活しています。とっても悲しかった事、とっても楽しく、うれしかった事、心配をかけ迷惑をかけた事。そういう事を心のバネにしながら、これから強く生きていこうと思います。僕は絶対、ガンバル!
 そして僕は、父母に次の言葉を届けたい。「もう、どうでもいい。父母なんて。僕は立派に成長して生きていくから。僕は、一歩一歩、自分の夢を持って前進し続ける」
 父さん、母さん、聞こえましたか。西誠はここにいる。

 昨年度の 「 少年の主張全国大会」 で最優秀の総理大臣賞に選ばれた、長崎県島原の中学生、西誠君(15) 「これからがんばるんだ」 の全文です(朝日新聞2002.11.21より抜粋)。チカラ強いですよね。
 今年度の結果も気になるな。  


あんたにいいところはないかもしれない。それでも私はあんたのお母さんでよかったと思う

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