151 01月16日

9年前を忘れるな。 

 9年前の明日、1月17日になにが起こったか、諸君は認識していますよね。諸君は9歳の小学校3年生、私は29歳でまだまだ駆け出し教師の頃でした。当時の私がなにをしてなにを思ったか・・・。昨年の 「Positive」 を引用して紹介します。
 当時ひとり暮らしをしていた私は、早朝のニュースを軽く見たまま、出勤準備をしてそそくさと出かけてしまいました。職場に着いてから、「なんだか関西地区で地震があったみたいだねぇ」 なんてのんきに話をし、日々の仕事をこなしていました。今のように教室や職員室にテレビがありませんでしたから。
 お昼ごろになって、ラジオを聞いたスクールバスの運転手さん経由で、その後の情報が入ってきました。被害者数は数百名単位だということ・・・・・・。その後も続々と情報が入ってきます。入ってくる度に被害者の数が増えていきました。
 こりゃーこんなトコでのんきに弁当食ってる場合じゃないんじゃないか?と、思いながらも、何もできない私がいました。半信半疑のまま、自分のこの眼で見るまでは事実かどうかはわからんぞ、と何も出来ない自分を肯定(こうてい)していたのでしょうし、事実を知りたくない・・・という恐怖心もあったのでしょう。
 退勤時間を知らせるチャイムが鳴ると同時に、とりあえず速攻で自宅に帰りました。電気も点けず、スーツも脱がず、仁王立ちのままテレビの画面を見つめる私の口から、思わず 「・・・・・・マズイよ、コレは・・・」 という言葉が出たのをはっきりと覚えています。
 恥ずかしい話なのですが、これが私の平成7年1月17日の行動及び気持ちの変化です。本当に情けないくらい恥ずかしい話です。同じ日本という国の中、地球単位で見たらほんの小さなこの土地の中で、これほどの大惨事が起こっていながら、その事実を事実として即座に受け止めることが出来なかったことがまず恥ずかしい。そして事実としてしっかり受け止めてからも、ただテレビの画面を見続けることしか出来なかったことがもっと恥ずかしいのでした。
 世の中で何か大きな事件や事故が起きると 「えっ、しょせんは他人事でしょ。私にゃ関係ないよ」 という気持ちのヒトは、諸君の中にはほとんどいないと思いますが、私はそんな気持ちを持ってしまっていた、サイテーのヒトだったのです。
 実際にこのサイテーの考えを持ったヒト達の影響で、震災の時の対応が思うように行かないということもありました。震災の現場を見てみたいという、興味本位のヒト達の車が混じったこともあり、急を要するこの震災時に1時間数センチしか車が進まないような大渋滞も起きました。
 「常に相手のこと、ヒトのことを考えられるようにしないといかんよ」 なんて意味のことを、よく諸君に言いますよね。私自身、阪神大震災をきっかけにヒトや物に対する考え方が変わったといっても過言ではないとさえ思っています。諸君も、自分の周りで起きたどんな出来事でも 「ヒト事だ、私には関係ない」 で済まさずに 「もし自分だったら・・・」 という考えで、自分のこととして置き換えていくことを心掛けてください。常にそういう人間でいてもらいたいものです。
 1月17日、決して忘れることのない日にしていきましょうよ。
 良い週末を。 


ひどいよね、納得なんてしなくていいよ

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