44 01月17日

とても他人ごとではすまされない

 今日1月17日がなんの日かわかりますよね。わからないというヒトは、自分自身
を恥ずかしいと思ってください。
 平成7年1月17日、当時はまだ独身で、一人暮らしをしていた私は、いつものよ
うに朝食をとった後、昼食用の握り飯をつくり、出勤準備をしていました。その間つ
けっ放しになっているテレビのニュースでは、早朝に関西地区でかなり大きな地震
があったが、詳細はまだわかっていない・・・なんていうことを報道していました。「へ
ー、地震か・・・」程度の関心を持ちつつ、いつも通り出勤していきました。
 学校に着き、いつもと変わらない日が始まりました。職員打ち合わせ、ショートホー
ムルーム、授業・・・今でこそ各教室にテレビがついていますが、当時そんなものは
ありません。早朝の地震について、何も情報が入らぬまま昼休みになりました。「そ
ういえば今朝の地震はどうしたかな、大地震なんてめったに起こるものでもないし、
大した被害もなかったんだろうな」なんて考えていました。何故jかって?だって私は
この日もいつもと変わらぬ平凡な日を過ごしていたのですから。
 そんな昼休みに入ってきたのが、学校のバスの運転手さんからの情報でした。バ
スのラジオで聞いたのであろうその内容はすさまじいもので、今朝の地震での被害
者数は、現在数百名まで及んでいるというものでした。しかしながら「またぁ、本当な
のかね。そんな大惨事ならこんなところでのんきに握り飯食べてる場合じゃないでし
ょー」なんて半信半疑で、真剣に受け止めていない私がいました。
 その後も情報は次々と入ってきました。誰かが職員室で小型ラジオを鳴らし始めま
した。ウォークマンか何かで聞いたのでしょうか、生徒からも情報が入ってきます。死
者・被害者の数は100単位で増え続けていきました。それでも自分のこの眼でこの
耳で確かめるまでは、まだ現実として受け止められない自分自身が、そこにはいまし
た。
 我々職員の退勤時間は夕方5時です。5時を告げる鐘の音とともに、私は愛車(スー
パージェミニ、通称「ジェミちゃん」おかげさまで走行距離23万キロ達成)をすっ飛ばし
て家に着きました。部屋の明かりをつけるより先にテレビのスイッチを入れました。画
面が映し出された瞬間、私は言葉を出すことも出来ずに、ただぼうぜんと画面を見つ
めていました。
 誰もいない一人暮らしの部屋で仁王立ちになった私の口からようやく出た言葉は「う
わぁ・・・まずいよ・・・これは・・・」という。声になるような、ならないようなものでした。こ
の時になって初めてことの重大さを認識できたのです。私はただただ、画面を見続け
ているだけでした。
 恥ずかしい話なのですが、これが私の平成7年1月17日の行動及び気持ちの変化
です。本当に情けないくらい恥ずかしい話です。同じ日本という国の中、地球単位で見
たらほんの小さなこの土地の中で、これほどの大惨事が起こっていながら、その事実
を事実として即座に受け止めることが出来なかったことがまず恥ずかしい。そして事実
としてしっかり受け止めてからも、ただテレビの画面を見続けることしか出来なかったこ
とがもっと恥ずかしいのでした。
 世の中で何か大きな事件や事故が起きると「えっ、しょせんは他人事でしょ。私にゃ関
係ないよ」という気持ちのヒトは、諸君の中にはほとんどいないと思いますが、私はそん
な気持ちを持ってしまっていた、サイテーのヒトだったのです。
 実際にこのサイテーの考えを持ったヒト達の影響で、震災の時の対応が思うように行
かないということもありました。震災の現場を見てみたいという、興味本位のヒト達の車が
混じったこともあり、急を要するこの震災時に1時間数センチしか車が進まないような大渋
滞も起きました。
 常に相手のこと、ヒトのことを考えられるようにしないといかんよ」なんて意味のことを、
よく諸君に言いますよね。私自身、阪神大震災をきっかけにヒトや物に対する考え方が
変わったといっても過言ではないとさえ思っています。諸君も、自分の周りで起きたどん
な出来事でも「ヒト事だ、私には関係ない」で済まさずに「もし自分だったら・・・」という考
えで、自分のこととして置き換えていくことを心掛けてください。常にそういう人間でいて
もらいたいものです。
 6年前のこの阪神大震災も、決してヒトのこととして終わらせてはいけません。考えなけ
ればいけないこと、しなければいけないことは山ほどあるはずです。話は尽きないのです
が、今回はこれで終わりにします。急いで打ったのでミスは許してね。

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