45 01月19日

今回は話題が2つ、と宿題かな

 私が諸君と同じ年代の頃、常に頭の中で考えていたことといえば、ほとんどが異性
のことでした。(ちなみに統計上、男性は約15分に1回、女性のことを考えるとのこと。
間違っていたらゴメン)たとえば、男友達と女友達との約束がぶつかってしまった場合、
男友達との約束をすっぽかして、女友達との約束を優先させたものです。「さいてーだ」
と思うヒトより「とーぜんじゃん」と思うヒトのほうが多いのではないでしょうか。まあ、諸
君の年代ではそう考えてしまっても仕方がないと思います。思春期なんてそんなもの
です。我々の年代でもごくまれに現役バリバリのヒトもいますけど。
 ところがいつの頃からか、そういう考えを持たなくなってくるのです。なんとなく覚えて
いるのは、高校を卒業するあたりからではないでしょうか。いざという時に頼れるのは、
異性よりも同姓だよなーなんて考え始めました。友達というものは生きていくうえでの宝
物、お金では買うことの出来ない財産だと考え始めたのです。言い方を変えれば、恋人
と友達というものの差に気づき始めたとでもいうのでしょうか。(お、なんだか格好いいこ
と言っているぞ)
 自分の期待していたことが実現した喜びや、努力によって目標を達成した喜びは、親
しい友人に話しますよね。そうするとその友人は、自分の喜びにあふれた表情に接し、
それを我がことのように喜んでくれます。その瞬間、自分の喜びは2倍にも3倍にもなっ
たりします。
 逆に、悲しみに心がうちひしがれている場合は、その心を一番理解してくれ、慰め、励
ましてくれます。友人に手を取られ、思い切り涙を流すことによって悲しみは友情という
ものに包まれ、心が少しづつ安らいでいきます。まあ、諸君の場合はめったに涙など流
さないと思いますが、わかりますよね、こういうの。
 ある意味、恋人は一生モノではないけれども、友人は一生モノですよね。よっぽどのこ
とがあって絶縁状態になっていた友人なんかも、時間が経てば、はい元通りなんてこと
もあったりします。歳とってくるとこんなことばかり考えてしまいます。友人は大切に。
 話はがらっと変わります。先日のホームルームで、学級通信を読みながら阪神大震災
の話をしました。その時にも少し触れたのですが、ボランティアということについて、ちょっ
と考えてもらいたいと思います。
 社会事業のために、無料奉仕をするヒトをボランティアといいます。世の中で何か大きな
事故や災害が起きた時、ボランティアのヒト達のパワーは絶大なモノになります。時給や
日当をもらえるわけでもない、無料奉仕なのにどうしてそれだけのパワーが生まれてくる
のか、諸君はわかりますか
 昔私のクラスにボランティア団体に入って活動をしていた生徒がいました。その生徒の
個人ノートの一節にこんな文がありました。
   「今日は7時30分からロード清掃をしました。ずーっと歩いてて疲れました。終わっ
たのは9時30分くらいでした。大変な仕事ばかりだけど、とても楽しいです」
 「とても楽しい」の中には、やりがいがあるといった意味や、嬉しいといった意味も入っ
ているのでしょう。この最後の一文に、ボランティアということの全てが集約されているよ
うな気がします。
 一口にボランティアといってもかなり幅が広くなります。先の阪神大震災で遠く離れた
現地まで行って、復旧や行方不明者の救出活動もボランティア、10月の修学旅行で諸
君がビーチの清掃をしたのもボランティア、もちろん今度予定されている献血だってそう
です。
 先日、本校で行われた入学試験の小論文(今年度から開始、就職・進学を問わす、諸
君のほとんどがもうすぐ直面するモノ。積極的に模試を受けたり補修を受けたりしないと
間に合わない。文章力はすぐにつくものではないのだ)を採点していました。題名は「高
校生活に望むもの」です。その中でやたらと目に付いたのが「ボランティア活動をしていき
たい」といった内容のものでした。ボランティアということに対する、若いヒト達の興味が増
しているのです。いったいボランティアの何が、こうやって我々人間のヤル気を駆り立てる
のでしょうか。この先を考えてみてください。
 と、いうことで久々に個人ノートの「お題」を出させてもらいます。「ボランティア」という題
で、経験でも考えでも行動でも何でもよいので、諸君の意見をガシガシ書いてきてくださ
い。
 前回のように長期に渡って預からないように心掛けますのでヨロシク。提出は3日後。

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