049 06月23日

6月21日の私。 

 高校時代お付き合いさせてもらっていた彼女に、5月の母の日にカーネーションをあげる事を半ば強要され、照れくさい中、母親に花をあげました。そのひと月後の父の日も同じように照れくさい中、父親に何かあげようと思い、酒好きな父親だからと、足りないアタマでおつまみナッツの缶詰をあげました。初めて感謝の気持ちを伝えた母の日、父の日でした。
 それ以来、毎年母の日にはカーネーションを、そのうちに離婚して一緒に住まなくなった父には電話をかけるのが、私の中での年に一回の行事になりました。父親は私以上に筋金(すじがね)入りの酒呑みです。どこが筋金入りかというと、糖尿病という病にかかっている上にアルコール依存症なのです。呑んじゃ駄目な病と呑まなきゃいられない病が同居している身体なのです。もちろん彼は毎日呑んでしまっています。ですから電話は、「生きてるぅ〜?」 「生きてるよぉ〜」 「呑んでるぅ〜?」 「呑んでるよぉ〜」 という会話から始まるのです。
 父の日だった昨夜、久しぶりに連絡を取ると、義母が親父は具合が悪いと言っていました。今朝にはとうとう意識がないような状態になってしまったとので、救急車を呼んで病院に行ったとのことでした。私は栃木、親父は都内、気持ちは急ぎますが物理的にすぐにそばには行けません。さっきまで諸君の前には私がいましたが、今は都内に向かう東武線の車内にいます。先ほど教室に行って諸君に伝えたように、親父が危篤状態になったという連絡が入ったからです。今は丁度1時、今日は台風の影響で4時間目で放課になりましたから、諸君は下校している時間でしょうか(これを書いているのは6月21日13時。諸君が読むのは23日だな)。
 何が嬉しかったって3時間目が終わった後、休み時間に諸君に、「朝伝えた通り、親父か危ない状態になったので今日はもう帰る、明日からしばらくこられないかもしれない」 と伝えた時、「大丈夫だよ。気にせず行ってきな」 的な諸君の反応が嬉しかったです。本当にありがとうございました。
 親父は私が諸君と同じ高校生の頃にお袋との別居が始まり、気がつけば離婚が成立していました。同居こそしていないものの、私の実の父親です。先も書いた通り、年に何度かは連絡をとっていました。
 筋金入りのアル中の親父との別れが、いつかは来ると覚悟はしていましたが、まさかこんなに早いとは思いませんでした。こんなこと車内で書いている私は決して冷静ではありません。こうして車内で携帯電話使って、諸君にナニか伝えようとしないとボロボロになっちゃいそうなのです。まだ亡くなってはいませんが多分親父はこれが最後です。幼い頃可愛がってもらった末っ子の私にはわかります。てかこの文書いていたら鼻水垂れてました。あ〜あ。
 親父がいたからこの世に私が存在し、諸君の前にいる私が存在する。そして今や今日があるのです。親父頑張れ。今行くからな。また一緒に呑んでくれよ。俺が行く前に死ぬんじゃないぞ!!でもダメなんだろうな、せめて死に目には立ち会わせてくれ。俺は東武線車内で携帯いじくりながら泣いている変なオヤジに化しているのだから。
 てかマジで涙ボロボロだ。 


シンプルな表現の達人になれ。ほんのひとことでも、心に残すことはできる。長い話はすぐに忘れられてしまうけれど

BACK