076 09月09日

しんぶんし。 

 再来週に就職試験を控えているヒト、数ヶ月後に推薦入学試験を控えているヒト、諸君は様々ですが、当然のごとく新聞くらいは毎日読んでいると思います(マジメな話、読んでいない者がいたら、相当ヤバイ状態だと認識するべき、しーらないっと・・・、という言葉では片付けられない。読め!)。今回はその新聞ネタです。
 3年前の朝日新聞のコラム 『天声人語』 に面白いことが書いてありました。新聞を読んでいるであ・ろ・う諸君に紹介します。読んだヒトもいるでしょうが・・・、てゆーかなんでそんなに古いネタを・・・、ということは詮索(せんさく)しないでくださいって。

 「情けは人のためならず」。このことわざの意味を問う。文化庁が実施した「国語に関する世論調査」の中の1問だ。
 (1)人に情けをかけて助けてやることは、結局はその人のためにならない(2)人に情けをかけておくと、巡り巡って結局は自分のためになる――のどちらか。
 回答は(1)が48.7%で(2)が47.2%だった。本来の意味は(2)だから、誤答が正答を上回ったことになる。さすがに年齢が高くなるほど正答率が高まり、60歳以上では60%を超えた。
 意味を取り違えやすい故事やことわざというのはあるものだ。たとえばである。「対岸の火事」のつもりで、だれかが「他山の石」と言ったとする。そういう例に出合ったら「対岸の火事」とは考えず、「他山の石」とすべきだろう。「天に唾(つばき)す」はどうか。不届きなやつ、と一瞬考えてしまうが、天に唾すれば自分に戻ってくるのだから、自分がひどい目にあうこと。
 世の中の変化とともに消えていく故事・ことわざもあろう。「竹馬の友」はどうだろうか。もうほとんど目にすることはない光景である。といって「竹馬」を「ゲーム」や「メール」などのカタカナ語に置き換えては感じが出ない。さらに「塗炭の苦しみ」や「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」はどうか。身のまわりから炭や薪(まき)が消えてしまっては実感がわかない。
 時代とともに言葉は移りゆく。その中で、故事・ことわざはしぶとく生き残った。世の中の変化が一段と急で、言葉の使い捨ての感が強まっている現代、はたしてどんな言葉が生き残るのか。「行雲流水」の境地とはいかない。(2001.6.15)

 わっかりましたか?↑の意味を取り違えやすい故事やことわざの説明をしておきましょう。
 「情けは人のためならず」 → 上記の通り。どちらだかわかるよな。 「対岸の火事」 → 他人のことで、こちらはちっとも苦痛を感じないことのたとえ。 「他山の石」 → 立派な人がつまらない人の言行をも、自分の修養の参考にすること。 「天に唾す」 → 人に害を与えようとして、逆に自分がひどい目にあうこと。 「竹馬の友」 → おさな友達のこと。 「塗炭(とたん)の苦しみ」 → 泥や火の中にいるような、非常な難儀をいう。 「臥臣嘗胆(がしんしょうたん)」 → 将来の成功のために、長い間報いられないで苦労すること。 「行雲流水(こううんりゅうすい)」 → 少しのこだわりもなく、時に応じて適当に行動していくことのたとえ。
 ぢゃな。   


いいことを思いついたらまわりの人に言ってみよう。ただしそれと同時にその思いつきを守ってやること。踏みにじろうとする人たちから守っていくこと

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