103 10月21日

自転車その2。 

 高校に入学した後、音楽にずぶぶぶぅ〜、とハマっていった私ですが、自転車好きな私もちゃーんと存在していました。
 高校1年生の時、友人が原付きの免許証を取りました。そいつが、「明日の夜中、相模湖まで記念ツーリングに行く」 という話をし始めました。自転車好きな私はピピーンと反応してしまいました。「それなら俺も行くよ、相模湖なら道もわかるしさ、でも自転車だから現地で落ち合おうぜ」 ということになりました。私と同じく、自転車ゴコロを持った数名の友人と一緒に、深夜の相模湖を目指して走ったことがあります。
 高校2年生の時、ふと 「チャリでだって通学できるじゃん」 とひらめきました。5駅離れた駅にあった高校です。自転車で小一時間も走れば着いてしまいます。それでもって自転車通学をしていた時期もありました。
 高校を卒業し1年間の浪人生活を経た後、大学に進学した私がいます。その頃にはもうクルマ中心の生活でした。自転車に乗るなどありえない生活です。そういった生活を続けていく中で大学を卒業し、埼玉県で中学教師を経験し、そんでもって今の職場に勤め始めた私がいます。確か自転車は、大学卒業まで過ごした横浜のマンションの自転車置き場に放置したまま、埼玉に引っ越しちゃったんだな・・・。
 そして今の職場にたどり着きました。最初の年に教えていた3年生に、自転車競技のロードレースに参戦しているコ○”ヤシ君という生徒がいました。その時、自転車好きな私(横浜に愛車を放置しちゃったクセによく言えるよな・・・)はピピーンと、数年振りに2度目の反応をしてしまいました。「ねぇねぇ、コ○”ヤシ君、キミの馴染(なじ)みの自転車屋さんでさ、余っている部品を使ってロードレーサーを1台組んでもらえるようにお願いできないかな」 「わかりました。多分平気ですよ」 ・・・・・・。
 こんな会話があって、私の手元には1台の自転車が届きました。フレームから変速機からシートやハンドルに至るまで、まさに 「寄せ集め」 な1台です。その1台をゲットした私は、休日を中心に足利の街中をあっちゃこっちゃと走り周っていました。そのウチに休日だけでは飽き足らなくなって、日常のアシとして利用していた私がいました。当時は何度か職場までの通勤のアシにもしていました。
 ところが引越しをし、結婚をし、なんだかんだと生活のスタイルが変わっていく中で、次第に自転車の存在も、いつしか、「あまり使わない方の記憶の引き出し」 にしまわれてしまうと共に、現物は 「我が家の物置」 にもしまわれてしまいました。そんな状態のまま、10年弱の時が流れていきました。
 そして自動車運転免許証を失った私は昨年の6月、日常のアシとして使うべくカゴの付いたママチャリを購入しました。ママチャリで何度か桐生まで走っているウチに、「あ”、そーいえばロードレーサー持ってるんじゃん!俺!」 と気が付いた私がいたのです。物置から久しぶりにその姿を現したロードレーサーは、「気付くのが遅いよぉ〜、たっくん」 とでも言いたそうな感じでした。早速タイヤの空気圧を調節して乗り回す私・・・。この夏は、土曜日や休日を中心に、ロードレーサーで通勤していた私がいました。チャリダー斎藤の復活です。渡良瀬川沿いが中心でしたが、自然の中を移動する手段として、自転車って本当に快適なアイテムだと再認識しました。
 あ、しまった。また話が終わりませんでした。
 今日も明日に続くだな。 


ひとりじゃないよ

BACK