114 11月09日

「ありがとう」をはさむとさ。 

 先週、「Positive」 に24時間テレビの話を書いたと思います。その時に 「ボランティア精神」 についてちょろっと触(ふ)れようとしたのですが、ほとんどノータッチだったので、今日は触(さわ)っちゃいます。
 「自分の利益を考えずに、ヒトに対して何かを施(ほどこ)してあげる」 ことがボランティア精神でしょうか。厳密にいうと、ヒトばかりではなくて、モノや動物なんかも含まれる場合もありますし、「施す」 といった言葉の意味にも幅がありすぎますが・・・・・・。
 そもそもどうしてボランティア精神が存在するのでしょう。自分に利益もないのに、何でヒトのためにカラダを使ったりアタマを使ったりオカネを使ったりするのでしょうか。
 昨年度受け持ったクラスでも、ボランティアに関したことを考えてもらいました。その時の感想にこんなものがありました。

 『中学校の時、皆で町の中を清掃した。最初は嫌だなー、と思って空き缶拾いをしていたけど、気が付くと友達とムキになって空き缶を探していた。知らないおばちゃんが 「ありがとう」 と声をかけてくれた。終わった後、なんだかいい気分になった』

 諸君の中にも同じような経験をしたヒトはいませんか。我々ニンゲンは、「ありがとう」 という言葉をかけられると、嬉しくなります。それだけではなく、「ありがとう」 と直接言われなくても、どこかで誰かのためになっているという行動をとるだけでも、嬉しくなってきませんか?また反対に、「ありがとう」 と言葉をかけたくなるくらいのことしてもらっても嬉しくなります。
 と、いうことは、「ありがとう」 という言葉は、どちら側にいても嬉しくなる、我々ニンゲンにとってはかなりスペシャルな言葉だといえます。そして、この言葉を中心に湧き出てくるのが、我々ニンゲンのボランティア精神といえるのではないでしょうか。
 「思いやり」 を持っているヒトというのは、こういったことを常に意識して行動にあらわすことが出来るヒトなのでしょう。そういったヒトって、一緒にいるだけで満足って感じです。
 世の中には、「赤い羽根共同募金」、「心の友運動」、「友情の絵葉書」 ・・・・・・といったさまざまな募金活動その他が存在します。コンビニのレジ脇にも募金箱が置いてあるように、日常の中にすっかり溶け込んできてもいます。そんな時、フツーに協力できる心を持っていたいですね。
 昨日も書きましたが、今回の新潟中越地震の募金では、諸君の温かさを身を持って感じることができました。積極的な募金をありがとうございました。
 そうそう、何があってもこんな具合に積極的かつ前向きに行こうじゃないですか。
 では。 


相手がどう思っているかは相手が決めること。あなたが決めることじゃないよ

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