116 11月11日

11月11日。 

 今年も貴方に手紙を書きます。いつかは区切りをつけないといけない、と思ってはいるのですが、私が学級通信を書き続ける以上、ずっと書き続けるのだろうな、とも思っています。元気ですか。そっちでも明るく楽しくやっているのでしょうね。
 去年もそうでしたが、今年も3年生の担任をしています。彼等が1年生の時に担任をしていた学年ですから、元の学年に戻ったということです。ジャージの色は緑色、つまり貴方が3年生の時、中学3年生だった後輩達です。貴方同様、元気満々の女子生徒もいます。実は3年前の今日、貴方が原付スクーターの事故で逝ってしまってから、今でも悔やんでいることがあります。
 何かの用事で、渡良瀬川にかかる橋を車で走っている時でした。対向車線を走る、スクーターに乗った貴方っぽいヒトとすれ違いました。貴方が通う学校の教師として正しい手順を踏むと、貴方の担任に報告し、本人だったかどうかの確認を取ってもらい、事実であれば免許証を学校で預かって謹慎処分に入る・・・・・・。
 通常であればこういった形になるのですが、私はそうはしませんでした。1年生の時に貴方の担任をしていたということもあり、担任をしなくなった2年、3年生になっても、いろいろなことを相談しに来てくれる貴方がいました。貴方の、進路が決まっていない、また欠席や遅刻が多くなってしまい、普通に卒業ができるかどうかわからない、といった状況を知っていましたから。
 貴方の周りがそんな状況の中で、私がすれ違ったのがもし本当の貴方で、処分だなんだということになったら、きっと普通に卒業はできないな、と思いました。貴方のことですから、もしかしたら学校を辞めてしまうかもしれないな、とも思ったのです。
 私は、「すれ違ったのは似ているかもしれないけども、貴方ではなかったのだろう」、ということにしました。そうして日々が過ぎていきました。橋で貴方っぽいヒトとすれ違ったことも、記憶の彼方へ追いやられていってしまっていました。いや、追いやってしまったのかもしれません。
 そして11月11日がやってきます。日曜日で学校は休みでしたが、携帯電話に貴方のことを伝える連絡が入りました。「そんなことがあるわけがない、学校で一番元気だった貴方にそんなことが起こるわけがない、誰かのいたずらか間違いに決まっている」 そう思いながら貴方の家に向かった私です。包帯にくるまれた痛々しい顔の貴方が、布団で横になっていました。
 あの時、貴方かもしれないヒトとすれ違った時に何かしらの行動を起こしていれば(あれが貴方でなかったとしても)、そのことで貴方の人生の歯車を少しでもずらすことによって、こんなことには至らなかったかもしれないのではないか、と、今でも悔やんでいる私がいます。裕子さん、ごめんなさい。私はもっと厳しくあるべきでしたね。そのことが悔しくてなりません。そして私の就いている仕事の、難しさと責任も痛感しました。
 なんだか今年の貴方への手紙はしんみりとしてしまいました。けれども怒らないでください。だってね、1年2組最後の日、「せーの」 の号令と共にクラスの皆に、「ありがとうございました」 と言わせて、清掃用具箱に隠しておいた、抱えきれない程の大きな花束を持ってきてくれた貴方の姿は、一生忘れない私の記憶の宝モノになってるのですから・・・・・・。
 今年の今日も会いに行くぞ!待ってろよ。

                                                       たー 


自分のこと、自分で好きにならなきゃ、他の人も好きになってくれないよ

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