154 01月24日

安心。 

 先週の水曜日、例の会があったので久しぶりに電車に乗りました。ほんの十分程度の間ですが、電車の窓から、街並みを眺めていると、昔好きだったことを思い出しました。
 夕暮れ時の住宅街が結構好きだったのです。見るつもりも聞くつもりも無いのですが、ふと視界に入った窓の中に、家族の団らんしている姿が映ったり、子供の泣き声、台所からトントンと晩御飯の支度の音が聞こえてきたり・・・。ということに触れると、「今日も一日平和で終わるんだな・・・」 という安心感を覚えていました。そうそう、そこに煮物やらシチューやらの美味しそうな香りがぷぅぅ〜〜んと漂ってくると、「早く帰ってごはんたーべよ!」 といった気持ちにもなっちゃうんだな・・・。
 それはさておき、今日はこの、「安心」 って何なのでしょうってハナシをします。今の2年生の現代文の授業で、安心をテーマにした文章(諸君の使ってきた教科書には掲載されていないのだ)があります。「安心 とは、車の後部座席で眠ること」 だというのです。米国の漫画家シュルツ氏が、作品 「PEANUTS(ピーナッツ。スヌーピーが出てくる漫画だな)」 の中で、「安心って何?」 という質問をするペパーミントパティに、チャーリー・ブラウンが以下のように答えます。
 「君は小さな子供で、お母さんやお父さんと一緒にどこかへ遠出したとする。あたりはもう夜だ、君たちは車でうちに帰るところさ、その時君は後ろの座席で眠れる。君は何もしなくていい。お母さんとお父さんは前の座席にいる、そして心配事ごとはぜんぶ引き受けてくれる。何もかも面倒みてくれる」
 ドライブにたとえられたこの 「安心」、ものすごくよくわかる説明だと思いませんか。諸君にも実際にこういった経験があったと思います。私にだってバリバリにありました。世の中の面倒なことは全て前の座席に座っている親がやってくれます。子供の我々は何も心配せずに、後ろの座席ですやすやと眠っていれば良いのです。ところが、パティの合いの手をはさみ、答えは更に続いていきます。
 「でも、これはいつまでも続かないよ!君は大人になる、そしてもう二度とこういう具合にはいかなくなるのさ!君は二度と後ろの座席で眠れなくなる!もう決して眠れないのさ!」
 いつまでも後の座席で眠っているわけにはいかなくなる、ということです。諸君もそろそろ、実際にも精神的にも、前の座席に行かなければならない年齢になってきました。「安心」 を与えてもらうのではなく、「安心」 を与えてあげる、という立場になっていくということなのです。 
 先週は諸君に対して、思わず大声を出して叱ってしまう、といったことがありました。この時期にきてとても申しわけないと反省しつつも、叱らせないでくれよな、という私なりの思いもがあります。今週はそういったことが無いようにお互い取り組んでいきませんか。
 そろそろ私に 「安心」 を与えてくださいな。
 てなワケで今週も始まっちゃいました。どかーんと行きましょう。


いいことがあったら、そりゃいやなこともあるよ。いやなことがあったら、きっといいこともあるよ

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