54 02月19日

二度と起こってほしくないですね

    今回の新大久保駅での事故などをニュースで見て「人」というものを見直
   した。嫌な事件ばかり起きている中、この出来事は「現代の人たちが忘れ
   かけた何か」を思い出させてくれたに違いない。この勇気ある2人の死を無
   駄にはできない。
    自分自身が同じような立場に立ったとしたら・・・助けに行っただろうか?と
   考えてみる。多分頭の中が真っ白になって何もできず、立ちすくんでしまうだ
   ろう。しかし、本当に身近で起きているかもしれない。だから常に他人のこと
   を自分のこととして、置き換えて行動ができるように心がけたい。「判断力・
   行動力・思いやり・多少の知識」が必要だと思った。

    私も学校へ行くまでの間、電車を利用しているので「新大久保」で置きた出
   来事をニュースで見たトキに「私もいつこんな出来事にでくわすかわからない。
   他人事っていう感じがしないなぁ」と思った。
    「とっさの行動」っていうのはその時その時ででる行動なのだからわからな
   いと思う。もし私が事故のあった新大久保に、その時いたとしてもきっと助け
   たりはしないと思う。せいぜい駅員さんを呼びにいったりするだけだと思う。
    それはやっぱりひどい言い方だけど、「名前も知らないあかの他人」だから。
   こういう考えの人(私も含めて)はいぱいいると思う。でも、もし線路に落ちた
   人が他人ではなく、自分の友達だったり親だったりしたら、なにがなんでも助
   けると思う。同じ『線路に落ちた』という状況なのに、自分が知っている人に対
   する行動と他人への行動の差は激しいと思う。
    その意識を捨てて、2人はが助けに行こうとした事は、本当にスゴイ事だと
   思う。あ”、でもひとつだけ確かなことは、私はいろんな事故現場に巻き込ま
   れたとしても「キャーキャー」騒ぐような人間だけにはなりたくないと思ってい
   ます。日頃から物事を冷静に考えたりする力を無くさないよう努力しようと思
   います。

 東京の新大久保駅で、三人が命を落してから三週間が経ちました。助けに入った二人
の「美談」が日本と韓国で大きな反響を呼んだ影で、最初に転落した男性の遺族が、二
重の苦しみに襲われています。息子を失った悲しみと、二人の遺族への済まない気持ち。
昨日の朝日新聞の記事をもとに紹介したいと思います。なんともやりきれない出来事です。

    緩やかに湾曲したリアス式海岸沿いにある岩手県の漁村の男性の実家に、
   祭壇がある。1月26日の夜、熟睡していた父親は警察からの電話で起こされ
   た。息子が死んだ?夢を見ていると思った。息子の死が違った形で世間に衝
   撃を与えるとは知るはずもなかった。
    亡くなった息子は七人兄弟の三男で、父親似だった。小学校に入ると漁に連
   れていった。六年生になるまで枕を並べて寝た。「父ちゃんと同じ漁師になる」
   と目を輝かせていた。中学生の頃、やはり漁師になった長男が釧路沖で遭難
   して亡くなった。泣き暮らしていた妻も、二年後に病死した。
    三男は兄の死後、「漁師なんかになるものか。手に職をつけて自分の力で生
   きてみせる」と言うようになった。高校でも漁業を選ばず、職業訓練学校に進ん
   だ。その後東京に出て、マンジョンの外壁工事に携わり、たまの帰省が父の楽
   しみだった。「人様に迷惑だけはかけちゃいかんよ」と父親が言うと。三男は「分
   かってるさ、うるせえなあ、おやじ」と笑った。昨年暮れ、病身を気遣って電話をし
   てくれた。それが最後の会話になった。
    父は韓国人留学生、李さんの両親が号泣するのをテレビで見て、胸が押しつ
   ぶされる気持ちだった。謝って済むことではないが、どう謝ればいいのか、寝つけ
   ない夜が続いた。
    病床の父が、李さんの両親あてに筆をとったのは、一週間前のことだ。息子を
   助けようとした勇気に対して、感謝とお悔やみを伝え、「息子が原因の事故で前
   途有望なご子息が亡くなったことは、父親として誠に申し訳なく、おわび申しあげ
   ます」と記されていた。
    翻訳された文面を読んだ父盛大さんは「お父さんは何も悪いことをしたわけじゃ
   ない。むしろこちらから慰めてあげたい」と言葉をもらした。

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