017 05月06日

オレオレ最終回。 

 連休は有意義に過ごせましたか。先週のハナシの続き、最終回です。 

 やがて中学を卒業し、高校に進学する。メンバーは皆ばらばらの高校になったが、通学する電車は一緒だった。私は神奈川県立の普通科共学 「田奈高等学校」 に進学した。県内で一、二を争う程評判の良くない学校だったが、私はそこしか行く所がなかった。同じ中学からの友達はほとんどいなかった。運動部に入って体を動かそうとも思ったが、やはり自分には音楽しかないと思った。もちろん中学校時代の体験がそうさせたのだ。なんだかんだで、バンドを組むような友達もでき、常に三つ以上のバンドを組むようになった。放課後の時間帯はほとんどそのために費やされた。音楽を通じて他の高校にも多くの友人ができた。ヤマハ楽器渋谷店主催のバンドコンテストには、毎回出場した。よく顔をあわせた他のバンドには、大槻ケンヂなんかもいた。自主ライブも頻繁(ひんぱん)に開催した。
 二年も終わりに近づいたある日、電車の中で他校に通学している友人が、「拓はどうするんだ」 と聞いてきた。大学に進学するのなら、そろそろ予備校に申し込みをしなくてはいけないというのだ。ぼんやりと大学進学は考えていたものの、私が通っていた高校は、就職する者がほとんどで、進学ということに対しては非常にのんびりと構えていたようである。それとは裏腹(うらはら)に、友人達の通っている高校は、もう予備校、受験勉強といった雰囲気(ふんいき)に包まれていたのだ。それが普通だった。その頃から、自分の進路について、ある程度真剣に考え始めることになった。
 大学に進学することに決めた。将来の目標として、やはり音楽でメシを食っていくことを第一に掲(かか)げた。だったら学校なんて必要ないではないか、と思うかもしれないが、音楽を通じて更に多くの友人を作るため、大学の音楽研究会に所属する必要性を感じていた。音楽で成功するためには、とにかく人脈を多く作ること、そうすればそれだけチャンスに巡りあえる。大学を卒業した後、スタジオミュージシャンとして仕事をしている兄の影響もあり、そんなことを常々思っていたのだ。もちろん自分の才能を伸ばすことも大切だが。
 しかし人生そんなに思った通りことが運ぶわけがない。もうひとつ、教師になるということを第二の目標として掲げた。自分自身、中学校の時、音楽を通じて人に認めてもらうことの大切さを学んだ。またそれも、受け入れて認めてくれる先生方がいたからこそだ。本当に良い経験をさせてもらったと思った。中学での文化祭に関した一連の出来事が、私自身の将来を決めたといっても過言ではないだろう。「音楽でも教師でも、人に何かを与えるといった点では共通している。え〜い、どっちになれるか自分を試してやれ」 といったわけのわからぬ希望を持ったのだ。そのためには大学が必要だった。
 三年になり、週のうち何日かは、代々木にある予備校に通うようになる。バンドに費やす時間は前と変わらないままだ。評定平均など無いに等しかったため、推薦などは問題外、入学試験での一本勝負、今までやらなかった分の勉強を取り返さなければならない。学校側が始めてくれた補講にも参加した。五十人いた参加者が、最後には私を含めて二人になっているということもあった。とにかく、音楽に勉強に、結構一生懸命取り組んでいた時期だった。髪の毛もばっさりと切った。そして入試の日がやってくる。
 目的もなしに高校生活を過ごすほど、つまらなく無駄なものはない。自分の可能性をどこまで引き出していけるか、努力をするということは本当に大事なことだと感じた。学校に対する不満はあったが、目標があったから卒業できたようなものだ。
 ちなみに受験はものの見事に失敗、浪人生活が約束される。「偉そうなこと言ってどーしてそんな半人前の教師になっているんだ」 ということに関しては、またの機会に言いわけさせてもらおうと思う。   

 良い週末を。 


思いを伝えるために話してほしい。ただ言葉を発するのではなく

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