018 05月09日

いくつになっても母は母。 

 昨年、志村けんさんがお母さんと伊豆方面に旅に出る番組を観ました。現在お袋と二人暮しをしている私は、見習わなくてはいけないと思いました。親孝行だな。昨日は母の日だったので、ウチのお袋のハナシでもします。ホームルームでもハナシをしたことかもしれませんが、これを読んでくれている諸君の親御さんにも知ってもらいたくてね・・・。
 数年前(まだ結婚している頃だね)のハナシです。丁度兄夫婦とその子供達がウチに遊びに来ていて、「さぁ、皆で買い物に出かけようか」 という時に、お袋が台所で横になっていました。「おい。出かけるよ。用意してね」 「うん、わかってるわよ。でも身体が動かないのよ・・・」 「え?」 「ちょっと待って、いま起き上がるから・・・」 「うん」 「やっぱり駄目みたい・・・おかしいなぁ・・・」 「え、おかしいなぁって、救急車呼ぼうか」 「嫌だよ恥ずかしいから」 「そういった問題じゃないだろ。頭の中で血が出ちゃったんじゃないの」 「じゃぁ呼んでもらおうかな・・・」
 こんな感じでお袋は病に倒れました。その後、救急車を呼び病院に運ばれてそのまま入院しました。病名は脳出血でした。病院に入ったとたん、お袋の意識はもうろうとして、この先どうなっちゃうんだろうモードでした。このまま亡くなってしまうんではないか、と真剣に考えて、私はお袋の手を握ったまま、「死なないで、死なないで、お願いだから助けてください・・・」 と、病室で一晩を過ごしました。今思い出すとなんだか涙が出てきちゃいます。
 その後意識も回復して検査やらナニやらとこなしながら入院をする日々が続き、ようやく退院となりました。けれども身体の右半身は不随(ふずい=動かない)のままです。市から障害者手帳を交付され、お袋はいわゆる身体障害者ということになりました。それ以来、右半身不随の状態で日常の生活を過ごしています。日常の生活にはさほど(本人的には結構あるのだろうけれども、私には大丈夫だ、大丈夫だと言っている。本当は大変なんだろうな・・・)支障はないと本人は言っているので、リハビリという意味も含めて、洗濯とか料理とかといった、日常の家事はお袋にお願いしています。そんな身体になってしまったお袋ですが、私をここまで育ててくれたお袋です。今度は逆に、私がお袋をサポートしていく番だと思い、日々を過ごしています。
 昨年は、「母の日だからって、別に気を使わなくっていいからね」 というお袋の気持ちがあったので、一日ウチに居て、できるだけ言いつけを守って、何か手伝ってあげようという感じで過ごしていました。今年はお袋が、この連休の何日かを、都内在住のお袋の姉のウチで過ごしたいというので、北関東から都内まで自動車でニ往復した私がいました。アルト君ありがとう・・・。
 以前ハナシしたように、母の日に初めてお袋に花を買ってあげたのは、諸君と同じ高校1年生の時でした。諸君は昨日、何かアプローチをしてあげましたか。
 私は今39歳で、お袋は71歳、まだまだ長生きして欲しいと思っています。丁度諸君のお婆さんの世代に当たるかもしれませんね。
 ぢゃな。  


相手の立場で言葉を選びなさい。相手もきっとその方があなたをわかってくれるだろう

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