019 05月10日

さ、何を感じるかな。 

 少年と父親は警察の帰りでした。少年は今日、バイクを盗み、乗り回しているところを補導されたのでした。今までに何度も少年は補導されていました。その度、少年の父親は警察に息子をひきとりに行っていました。
 ケンカをして相手にけがを負わせてしまった時は、父親が被害者の家をまわり、頭を下げました。「もうしない、真面目になる」 と少年が父親に誓ったことは何度もありました。少年がそう誓う度、父親は「わかった。信じよう」とだけ言い、うなづくのでした。そんなことが繰り返されてきたのです。
 今日も少年は 「もうしない、真面目になる」 と言いました。ところが父親は黙っています。「父さんごめんよ。もうしないってば」 父親は黙りっぱなしです。家についても父は 「もうしない」 を繰り返す息子を前に黙っています。
 いつもとは様子の違う父親に、少年は不安になってきました。父ひとり子ひとりの家庭でした。何十回目かの「ごめんよ。もうしない」の時、突然父親は立ち上がりました。父親は何を思ったか、道具箱から金づちと釘を持ち出してきました。驚き、ぼう然とする息子の前で、父親は壁に釘を打ち始めました。一本の釘がすっかり壁に打ち込まれました。そして父親は少年と向き合い、こう言いました。「お前が他人様に迷惑をかけたり、人として恥ずかしいことをした時、俺はこの壁に一本ずつ釘を打つ」 それだけです。
 少年は二・三日はしゅんとしていましたが、また万引き・窃盗・ケンカと繰り返し始めました。父親は 「もうしない」 という息子にはなにも答えず、釘を打ち続けました。少年はもう謝ることさえしなくなりました。
 少年は一週間家をあけ、非行仲間の家を泊まり歩いていました。一週間ぶりに家に帰った少年は、思わず鳥肌が立つぐらいゾッとしたのです。部屋の扉を開けた途端、少年の目に入ってきたのは、釘の頭でびっしりとうまり、真っ黒になってしまった壁でした。そばに寄るのもはばかれるほどです。打つ場所がないくらいです。すき間もなく打ってあるため、所々壁が崩れています。
 その夜、少年は父親に、生まれて初めて心から誓いを立てました。「どんな気持ちで釘を打っていたのだろう」 それを思うと、涙がこぼれそうになりました。しかし少年は泣きませんでした。泣いてしまうと、せっかくの覚悟がうすれてしまいそうでしたから。少年の誓いは 「もうしません」 この一言だけでした。父親は、やはり黙ったままでしたが、くぎ抜きで一本だけ釘を抜き、息子に渡しました。
 二年近くがたちました。少年は卒業をひかえていました。少年が髪型を直せば一本、制服を整えれば一本、机に向かうようになると一本――――――――――――――父親は釘を抜きました。
 非行仲間を抜け出ようと、少年はリンチにあいました。歯向かうことをせず、殴られっぱなしでした。ボロボロになって帰ってきた少年から、事情を聞いた父親は、一本だけ釘を抜きました。そうやって一本一本、釘は抜かれていきました。卒業式の前日、残る釘は一本になりました。そこまで二年かかりました。
 卒業式から帰った息子に、父親は釘抜きを渡すと、「お前がやれ」 と言いました。息子が最後の一本を抜いた時、壁土がポロポロこぼれました。釘を抜き終わった壁を二人で見つめました。壁土はボロボロになり、釘を抜いた跡がむごたらしく無残に残っています。壁に向いたまま、父親は言いました。「よくやった。お前はお前の人生を挽回した。お前の覚悟は本物だった。ただ、この壁のようにお前は人の心を傷つけ、自分の人生を傷つけた。それを忘れるな。お前が傷つけたものは、この壁のように人の心に残っているのだ。そして人生は挽回だ。偉いぞ―――――――――卒業おめでとう」
 少年の隣で、父親は確かに泣いていました。少年は、最後の釘を握りしめたまま、壁を見続けていました。  


まわりの人に、その存在と行為に、感謝を示そう。感謝してこそ人生は豊かになる

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