045 06月15日

センパイの意見。 

 先週末ウチに呑みに来た、諸君の6歳上の先輩(会長)が、在籍当時非常に力強い意見を書いてくれたので、今日はソレを諸君に紹介します。パワーをもらっちゃえ。

 「オレなんて生きている価値なんてないな」 当時中学生だった僕に突然放たれた言葉。冗談なのか、本気なのかを聞いた。次にそいつの口から 「死にたい」 と言う言葉が出てきた。正直、なんと言い返せばいいのやら、僕はまよった。確かにあの時は「死んでいいことあるか?」 と、問い返したのだと思う。で、今ではこの男、僕に相談したことを覚えていないようだがちゃんと高校に通っているらしい。
 僕も結構いじめの対象になっていた人間だったから、こいつ(上で挙げた男)の気持ちは分かってあげたつもりだ。だが、僕は 「死にたい」 とは思わなかったし、思いたくもなかった。理由を挙げるとすれば 「死んでいいことなんてない」 ということだろう。
 そんな僕がいじめられなくなったのは、中学で2年間担任になったO(オー)先生のおかげである。どんな先生だったかと言うと、外見は結構怖い人だったが生徒一人一人の話し、相談、どんなにささいなことでも真剣に聞いてくれる
 当時の僕にとっては 「めずらしい先生」 だった。今思えば僕は、その先生にいじめの相談はしなかったが、「勇気」をもらったのだと思う。現にこうしてクラスの 「会長」 なんつーもんをやってるのだ。「たいしたもんじゃねーか」 と、たまーに思う。おそらくO先生がいなければ、今の自分とは全く違った自分がいたに違いないし、ましてはこの桐生第一にいなかったと思う。おそらく落ちていたね。(笑)
 僕は 「いじめ」 には押しつぶされるパターンがあれば、それをはねのけるパターンの2つがあると思う。あまりこういう書き方はよくないが、学級通信で挙げられていたIHくん、彼がやられたいじめと僕がやられたいじめでは差がありすぎるが、彼の場合、僕のいう 「押しつぶされたパターン」 僕の場合が 「はねのけるパターン」 だったわけだ。彼のところにもO先生のような先生がいたら、もしかしたらこんなことにはならなかったと思う。いや、ならなかった。
 いじめとは 「なんらかのきっかけではねのけられる」 と、今でも思っている。今回、学級通信で挙げたものは、この先僕らは絶対忘れてはいけないことだ。忘れてしまえば、また同じことのくりかえしだ。
 今、僕らに出来ることは、人の嫌がる行為はせず、また、そういうことをやられている人がいたとしたら、それを無視するのではなく、そいつを助けるような行動をとることだと思う。
 いい人ぶる気はない。ただ、そういうやつが多くなれば多くなるほど、この世の中から 「いじめ」 がなくなるんじゃないかな?

 どーよ。↑そんな彼は、小説家目指して都内で修行中。かっこいーじゃん!しっかし良く食べたなぁ。キミは・・・。 


言葉の間の沈黙に耳を傾けよう。本当のメッセージは、そこに潜んでいるものだ

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