076 09月1日

「ありがとう」をはさむ心。 

 しっかし昨日の38.8°という発熱にはびっくりです。10数年間発熱したことがありませんでしたからね。悔しいので現在ウィルスをアルコール消毒中です。できるかな・・・、ってできるわけないじゃん。だめじゃんね。
 さて、2日続けて24時間テレビの話でした。今日はその流れで 「ボランティア精神」 についてちょろっと触れようかと思います。
 「自分の利益を考えずに、ヒトに対して何かを施(ほどこ)してあげる」 ことがボランティア精神でしょうか。厳密(げんみつ)にいうと、ヒトばかりではなくて、モノや動物なども含まれる場合もありますし、「施す」 といった言葉の意味にも幅がありすぎます。
 そもそもどうしてボランティア精神が存在するのでしょう。自分に利益もないのに、何でヒトのためにカラダを使ったりアタマを使ったりオカネを使ったりするのでしょうか。以前に受け持ったクラスで、ボランティアに関したことを考えてもらったことがあります。その時の感想にこんなものがありました。

 『中学校の時、皆で町の中を清掃した。最初は嫌だなー、と思って空き缶拾いをしていたけど、気が付くと友達とムキになって空き缶を探していた。知らないおばちゃんが 「ありがとう」 と声をかけてくれた。終わった後、なんだかいい気分になった』

 諸君の中にも同じような経験をしたヒトはいませんか。我々ニンゲンは、「ありがとう」 という言葉をかけられると、嬉しくなります。それだけではなく、「ありがとう」 と直接言われなくても、どこかで誰かのためになっているという行動をとるだけでも、嬉しくなってきませんか。そしてココ大事です。反対に、「ありがとう」 と言葉をかけたくなるくらいのことをしてもらっても嬉しくなるのが、我々ニンゲンなのです。
 と、いうことは、「ありがとう」 という言葉は、言う側言われる側のどちら側にいても嬉しくなる、我々ニンゲンにとってはかなりスペシャルな言葉だといえます。そして、この言葉を中心に湧き出てくるのが、我々ニンゲンのボランティア精神といえるのではないでしょうか。
 「思いやり」 を持っているヒトというのは、こういったことを常に意識して行動にあらわすことが出来るヒトなのでしょうね。そういったヒトって、一緒にいるだけで嬉しさを分けてもらえそうです。素敵なニンゲンです。
 高校生活を過ごしていく中で、諸君に 「心の友運動」、「友情の絵葉書」、「赤い羽根共同募金」 ・・・・・・、といったさまざまな募金活動に協力してもらう場面があります。そんな時、フツーに協力できる素敵な諸君であるコトを祈っています。
 イェーイ!
 そういや教室に 「小銭貯金箱」 でも設置してみるかな。 


いいことを思いついたら、まわりの人に言ってみよう。ただしそれと同時に、その思いつきを守ってやること。踏みにじろうとする人たちから守っていくこと

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