121 11月10日

出会って別れた後には。 

 はい、今日も半分酔っ払った私が、いつもと違う文体で書いた文章を紹介しちゃいます。昨日の続きみたいですね。

 昨日は出会いだったので、今日はまず別れについて考える。昨日書いたような出会いがあれば、その出会いには必ず別れがついてくる。「人は出会った瞬間に、その別れが決まっている」 などという、キザったらしいセリフをその昔どこかで聞いたことがある。
 「人と別れる」 ということを、「その人と会わなくなる」、ということで考えてみよう。小学校時代、中学校時代、諸君と同じ高校時代、浪人時代、大学生時代、埼玉県での教員時代、そして現在の本校での教員時代と、俺は今までの人生の中で、実に多くの人に出会ってきた。そしてその分、多くの人と会わなくなってきた。言いかえれば、別れてきたということだ。
 「小学校の時に仲の良かったアイツは元気なのか、どこに住んで何をしているのか」 ということを考えることはあるが、実際に連絡を取ることはほとんどないし、できないであろう。おそらく俺が死ぬまで会うことがないこういった人とは、今の段階で一生の別れとなってしまう。
 諸君だってそうだ。例えば2年後に、「先生、遊びに来るからねぇ〜」 なんて言葉を残して卒業していってそれっきり・・・、なんて人がいたら、もうその時点で諸君の誰かとは、一生の別れとなってしまう。
 その時その時は、「きっとまた会えるだろう」 と思っていながら、結局は一生の別れとなってしまうのだ。こうして考えると、俺の今までの人生は、なんとたくさんの一生の別れが多いことだろう。「一生のお別れ状態のままロングラン放置プレイ中」 である。カウント対象そのもの、俺の親も学校に呼ばれてしまいそうな勢いだ。
 それはさておき、こうして考えてみると、「別れ」 には、あまり楽しいことがなさそうだ。あるのかも知れないが、今の俺には思いつかない。更に話をすすめていく。実は別れの後には、実に楽しいことが待っているのを諸君は知っているだろうか。「別れの後には悲しみしかないんじゃないの?」 なんて考えている人はまだまだ幼い。悲しみなんか待っていない。待っているのは、「再会」 だ。
 「諸君も知っているかもしれないが、ここ数年の俺の人生には、実に多くの再会があった。昨日は出会いということで書いたが、「たまたま」 が 「たまたま」 を呼んだような、まさに偶然の再会といった感じのモノが多かった。きっとこれから先の人生にも、どこかに再会が仕組まれているのではないかと、結構楽しみにしている俺がいる。
 友達や異性を含め、別れちゃったのなんだのと悩むことはない。それだけ時間の無駄というモノだ。その先にある再会を楽しみに日々を過ごすことをお勧めする。

 さ、明日はマラソン大会です。午後の天気はあまり良さそうではありません。午前中にばばばーっと走ってさっさと帰っちゃいましょう。今日の終礼時は、体操着と運動靴持ち帰りでGO!です。
 ぢゃな。 


あなたを生んでよかった

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