170 02月10日

さて週末。 

 続きが気になるヒトもいる(いなかったら悲しいぞ)ようなので、今日はコレで・・・。

 渋谷での初デートを無事終えた少年斎藤は、その後Mさんとの付き合いをずぶぶぶぶーっと深めていくことになります。それぞれ違う駅の街に住んでいましたから、同じ電車に乗ろうと待ち合わせをして、一緒に登校したこともありましたが、朝はほとんど男友達と駅からタクシーで学校へ(徒歩30分、バスだと10分\140、5人集まればタクシーだと1人\120、しかもたまに社会科のちょっと小粋な先生と一緒になるとただ乗り!)向かっていました。
 そのかわり放課後にバンドの練習がない時は、いつも一緒に帰っていました。胸ポケットに忍ばせたラジオから流れるAFN(英語と洋楽中心の放送局)を一緒に聴きながら、徒歩30分の道のりを青葉台という駅まで歩きました。「どーする?乗る?天気もいいし歩いちゃおうか?」 なんて会話を交わし、そのまま駅2つ先の彼女の住む街まで歩くこともよくありました。合計で約1時間半の道のりです。
 音楽の話、映画の話、家族の話、学校の話、中学の話・・・、同じクラスではなかったので、まぁ、話題には事欠きませんでした。一日の中で、放課後のこの時間帯が一番楽しかったかもしれません。彼女の住む街の駅に到着すると、今度は改札口で電車が来るまで話をします。今日は帰ったらなにするだの、明日はなにするだの、やっぱり話題に事欠(ことか)きませんでした。
 電車は数分間隔でひっきりなしにやってきます。「次で帰るよ・・・」 のくり返しで、結局そこでも時間が経ってしまいます。おかげで駅員さんとも顔見知りになってしまいました。
 当時私の家は母親が喫茶店兼飲み屋(コレがまた良い。ちょっとしたライブもできる店で、大学生の兄が手伝っていた。洋楽かけ放題で当時としては珍しく、洋ビール各種取りそろえ。私の中ではいつかはこの店を・・・、なんて乗っ取り計画もあったのだが、数年後につぶれてしまった)を経営していましたから、ソコで食事を済まし、自宅へ向かい、例の交換日記を書くという毎日でした。ほぼ荷物置き場と化していた勉強机も、その時だけは役にたちましたっけ。
 あ、こうして書いているうちに思い出しました。お互いに洋楽が好きだということがあったので、ベストカセットなんてものもよく作りましたっけ。それを当時発売されたばかりのウォークマン(でかいんだなコレが)で一緒に聴きながら、電車に乗っていたこともありました。
 お互い軽音楽部に入ることをしなかった(だって皆でフォークギターで作曲して歌いましょうね・・・、てな部活なんだもの、そりゃーロック少年には辛いって)ので、他の部活を探していました。私が入ろうとしていたのはなんと陸上部かラグビー部、脚には多少の自信を持っていましたから。けれども度胸を持っていなかったので結局どちらも入りませんでした。彼女はというと中学の時も入っていたという吹奏楽部に入りました。そこでパーカッションというパートでドラムスをばんばんたたいていました。
 毎日彼女の部活が終わるまで、廊下の窓からグラウンドのラグビー見つめてたそがれる、少年斎藤がいました。
 ちゅうーことで、多分来週もつづく・・・・・・。そんな来週、遅刻しねーで休むなよ!
 良い週末を。
 ぢゃな。 


今日やらなかったことを反省するより、今日やったことをほめろ!

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