008 04月19日

挽回こそ大切。 

 さて、昨日の 「Positive」 に載せた 「少年と釘の話」 の話についてハナシをします。
「少年と釘の話」 を、もっともっと深く読み込んでいくと、気が付くヒトもかなり出てくると思いますが、「失敗」 ということに対して、どういった心持ちで取り組んでいくか、というところにポイントがあります。
 少年は非行をする度に、「もうしません」 を繰り返しながら、何度も何度も同じ失敗を繰り返していました。「もうしません」 と、口では言うものの、その言葉の裏側には 「本当にもうしません」 という強い気持ちがなかったのです。その場をしのぐための言葉、口先だけの 「もうしません」 だったのです。心の奥底では反省なんかしていないのです。だから同じことをまた繰り返していきます。
 ところが、釘を打ち込まれボロボロに変わり果てた壁を見て、少年は初めて自分のふがいなさに気がついたのです。「こりゃ本当にヤバイぞ。いいかげんなことはデキナイぞ」 と。そして本気でなんとかしていこう、と思ったのです。
 「挽回」 という言葉があります。「遅れていたことや、失っていたものを取り戻すこと」 と辞書にはあります。日常よく耳にするこの言葉には、実はとてつもなく大切な意味があり、その行為はとてつもなく大きな意味があるのです。
 自分の人生は自分のもの。醜く変わり果てさせるのも、楽しく、ヒトとして素晴らしく生きていくのも自分次第です。少年は、自分がしてきたこと、過ごしてきた人生が、いかにふがいなく、情けなく、醜(みにく)いものであったかということに、釘を打たれて変わり果てた壁を見て、やっと気付くことができたのです。だから、今度こそは本気で本物の 「もうしません」 という誓いをたてることができたのです。「もうしません」 の言葉の裏には 「本気の挽回」 があったのです。
 諸君は今までの人生の中で、どれだけ 「もうしません」 という意味の言葉を口にしてきましたか?「わかりました」 や 「わかったよ!」 等も同じです。こういった言葉を発した時、言葉の裏に 「本気の挽回」 を意識していましたか?「本気の挽回」 を意識していなかったのであれば、壁に釘を打たれ続けていたということです。その数だけヒトの心を傷つけ、自分の心を醜くしていたということになります。
 なーんて偉そうなことを諸君に語っている私の人生なんか、失敗の連続です。一日一回は失敗しているような気さえします。いや、しているのでしょう。でもね、自分を正当化するわけではありませんが、そんな中でも常に 「挽回していこう」 という意識は持って過ごしているつもりです。その意識がありさえすれば良いと思います。
 失敗したらそのまんま、怒られたら怒られっぱなし、テキトーにしていればいいや、という生き方だけはやめていきませんか。自分の大切な人生を醜くするような行為はやめていきましょうよ。
 失敗することは決して悪いことではないけれども、失敗することの恐ろしさ、恥ずかしさを自覚することができるようになると、「挽回しよう」 という覚悟は本物になり、「挽回する」 という行為は素晴らしいものになっていきます。人生が美しくなっていくはずです。
 普段の私とは随分かけ離れている話をさせてもらいましたが、理解できたでしょうか。
 日々いろいろとカウントされて、同じ列のヒト達に迷惑をかけてしまっている諸君、そのままで良いのかなー・・・。 
 ぢゃな。 


ご機嫌は、いい!

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