089 09月20日

値うちをつけるな。 

 先週諸君に読んでもらった、江口いとさんの 「人の値うち」 という詩について、ここでいくつかオハナシをしておきます。
 そもそもヒトに値うちというものをつけてしまうということがおかしいのです。性別・年齢・外見・仕事・性格・・・・・・人間なんて千差万別、十人十色、同じヒトなんて居やしません。違うのが普通なのです。それなのに我々は自分と違うからといって、無意識のうちに、ヒトに対して 「値うち」 をつけようとしてしまいます。そしてその 「値うち」 をもとに、接し方を変えてしまうこともあるようです。
 去年の1組の諸君の間で、いじめやちょっかいということを話題にしたことがありました。一方的に買い物を頼んだり、下駄箱や机にいたずらしたり、陰でこそこそ悪口言ったり、本人に気付かれないように小馬鹿にしたり・・・・・・こういうことって、その相手に対して 「値うち」 をつけてしまった結果なのでしょう。その他教科の先生によって、授業を全く受けなかったり、注意を受けなかったり、ちょっとわがままを言ってみたり・・・・・・こういったことも同じです。諸君それぞれの中での無意識の 「値うち」 づけの結果です。
 同じ人間、ヒト同士、同じ目線・立場で接していければこんなことにはならないのに、人間は無意識のうちに他人に 「値うち」 をつけてしまいます。何もイイことはありません。あ、優越感にひたれますかね・・・・・・、でもそれは実にくだらない優越感です。私はひたっているヒトの人格を疑ってしまいます。
 「肩書き」 や 「名誉」 や 「富」 ・・・、ヒトにはこういったモノがまとわりつきます。しかし、それをもとにして 「値うち」 をつけることは、無意味で無駄な行為だと思いませんか。
 今年の始め、私は諸君にいじめを苦にして自らこの世を去ってしまった、ある中学生の遺書を紹介しました。そして、深く考えてもらいました。その第二段階が、この 「人の値うち」 だというコトに気がついていますよね。
 しつこいようですが、我々人間は無意識のうちに他人に対して 「値うち」 をつけてしまうもののようです。その 「落とし穴」 に注意して過ごしていってください。他人に対して 「思いやり」 を持てるようなニンゲンになってください。世の中の全てのヒトがそうなってくれれば、こんな心配は無いのでしょうが・・・。
 昼休みを中心に教室で諸君の様子を見ていると、まだまだその辺がわかっていないヒトが居るような感じもします。
 コレを機会にもう一度、自分の行動を反省してみてください。もしかしたらアナタはわかっていないヒトかもしれませんよ・・・・・・。
 人に値うちはつけられません。
 ぢゃな。 


愛は、ここ、そこ、あそこ、どこにでも

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