112 10月24日

心の温かさ。 

 ホームルームでも話をしましたが、新潟県中越地震から昨日で2年が経ちました。不本意ながら地震が起きた時、横浜からの知人数名を足利に招いて食事をとっていました。「あ、地震だ」 と思いながら、「きっと大したことはないだろう」 と勝手に判断して過ごしていたのです。新潟方面が被害にあったらしい、という情報は入りましたが、遠方から来てくれた皆に余計な心配をかけさせたくなかったし、場も盛り上げなければいけないしと、四苦八苦していた最中(さなか)でした。
 2年前はたまたま新潟県が中心でしたが、隣接する群馬県に職場を持つ私としては、決してヒトゴトではないと思いました。てか、諸君にとってもヒトゴトではありませんよね。地震や風水害の類(たぐい)は、いつ自分の身の上に降りかかるかわかりませんもの。
 約11年前になりますが、平成7年の1月に起きた阪神大震災は、諸君の記憶にも新しいと思います。実はその時、何も出来ずにただボボボーっとしていた私がいたのです。恥ずかしいったらありゃしません。震災の被害に遭って、苦しんでいたり困っていたりするヒト達がいるというのに、ニュースの画面を観て、「うわー、すげー!」 なんて思いながらメシを喰っている私がいたのです。コレっておかしいですよね。阪神地域だろうが、中越地域だろうが、先ほども言いましたがこういったことは決してヒトゴトではないと思いませんか。そう気がつかなくてはいけないと思うのです。
 恥ずかしながら私は、母が倒れた後に障害を持った時や、身内に障害を持つ者が出来た時に、そういったヒト達に対する募金や援助に敏感になるようになりました。そして、そういったものがあることに、とても感謝するようになりました。更にそれではイケナイということもわかりました。身をもってわかる前に、そういったヒト達のことを考えていかなくてはイケナイということがわかったのです。
 2年前だって震源地が少し(地球規模で考えたらまさにほんの少しでしょ。地球クンの気まぐれってかなり怖いと思った)ずれていれば、「中越」 地震は 「北関東」 地震になっていたかもしれません。
 そんなわけで、「北関東地震だった」 と仮定してみます。余震も続き、二次災害の恐れがある我々は自宅に戻ることが許されていません。寒い中、近所の学校や公民館などでの、避難所生活が始まってしまいました。コンビニや商店も倒壊してしまったため、食べるものさえ手に入らないし、銀行なども機能を失ってしまい、手元には現金もありません。数日間風呂にも入れない状態です。そういった状態の中、全国から寄せられた義援金や募金で、食事や毛布が用意され、簡易シャワーも設置されることになりました・・・・・・。これってものすごくありがたいし、ヒトの温かみを感じることではないでしょうか。
 今週、赤い羽根や友情の絵葉書などの募金のお願いを諸君にしなくてはなりません。「ジュース1本飲んだつもり、この100円を募金しよう・・・」 「日の出でイカゲソを買ったつもり、この50円を募金しよう・・・」 こんなスタンスで良いと思うのです。いや、こんなスタンスがひとつの笑顔を生み出すのです。
 よろしくお願いします。
 ぢゃな。 


ええか、あんたら強くなりや。体やなくて心をやで

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