127 11月15日

続、冬が来ぅ〜れば思い出すぅ〜。 

 昨日の続きじゃ。
 浦和にも部屋を借りていたので、足利の部屋は本当に仮住まいみたいなものからスタートしました。同時に二つも家を持つほどの財力はないので、家具類はポチポチと集めていくことにしました。
 最初に持ち込んだモノは、小さなラジオと寝袋でした。数日間は冷たいタイルの上で、ラジオを聞きながら寝袋ひとつで過ごしていました。家の中なのに気分はアウトドア、なんだか変な気持ちでした。
 テレビはたまたま隣町に住んでいる高校時代の友人に、ベッドは祖母が使用していたものを、ちょっとした本棚類は家具屋を営む大学の先輩の倉庫に余っていたものを・・・、といった具合に、なるべくお金をかけずに家具を増やしていきました。気がつくと家らしくなっていましたが、電話と洗濯機と冷蔵庫がまだありません。
 携帯電話など普及する前の時代ですから、緊急連絡先として大家さんの電話を使わさせてもらっていました。時おり、「せんせぇ〜、お電話ですよぉ〜!」 と、玄関をどんどん叩かれては、「なんだかドラマのワンシーンみたいだなぁ〜」 と思っている私でした。それ以外は近くの公衆電話をマイ電話として使用していました。使おうと思って出かけた時、誰かが使っていると 「俺の電話を勝手に使うんじゃねーよ!」 なんて思っていましたっけ・・・。携帯電話なんてものが普及するずーっと前のオハナシです。だったら電話つなげればいいじゃないか、なんて言われそうですが、電話一本引くのには7〜8万かかるのです。そんなお金ありゃしませんって。
 どんなに連泊が続いても、週末は浦和の家に帰るようにしていたので、洗濯物はその時にまとめて持って帰って洗っていました。そうはいっても、私もお年頃の男のヒトでしたから、週末にはナニかと予定が入ります。帰れない週末は、本を読みながら近くのコインランドリーで過ごすことが多くなりました。
 冷蔵庫は必要な時だけ、コンビにで売っている氷を入れたクーラーボックスを代用品として使っていました。焼酎というお酒を、水や氷を入れずにそのまま飲むようになってしまったのは、こんな生活をしていたからでしょう。だっていちいち氷とか買って帰るの面倒なんですもの。
 冷蔵庫はないけれども、冷たいビールは毎日飲みたいなぁ、ということで、毎日通っていた酒屋さんでバイトをしていたのが、モトの奥さんだったりしますが、今となっては過去のハナシですが・・・。
 それはさておき、こういった生活の中で、電話もようやく取り付けることができました。洗濯機も、とあるヒトからもらうことができました。冷蔵庫も、大学の後輩からもらうことができました。こんな感じで足利での生活が本格的にスタートしていきました。
 ハナシ変わりますが、ここ最近の冷え込みの影響もあると思いますが、風邪やらインフルエンザやらのウィルスなんかに負けるんじゃないぞ。目に見えないようなちーさいヤツ等より、諸君の方がでかいのだから、強いに決まっています。
 病は気から!
 ぢゃな。 


こだわりすててみぃ、案外うまいこといくでぇ

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