147 12月15日

続、自分の部屋。 

 はい、週末。先週末はジョン・レノンのハナシだったので、2週間前のプチお馬鹿話の続きです。

 家に誰もいない時を見計らって、家具類の大移動をし、四畳半の部屋をゲットした少年斎藤のご満悦状態は、そう長くは続きませんでした。なんとこの団地から、「引越す」 というのです。
 5階建てを中心に40棟ほどが並び立つ団地群のベランダ側には、必ず芝生が敷きつめられているうえ、小さな公園も多いため、幼い頃は遊ぶ所にこと欠くことがありませんでした。また、幼稚園、小学校、中学校、最寄駅までも10数分で行けてしまうので、生活をするには絶好の環境です。見栄えもよかったせいか、特撮ヒーロー物の撮影場所として、当時は何度も使用されていました。
 当然ながら、住人達は団地が出来た時(昭和40年代初頭)に越してきたヒト達が中心です。そしてその子供達の9割近くは、幼稚園から中学校まで同じところに通うことになります。10年以上も同じ学校に通うので、200人以上の同級生は、「顔見知り」 以上の友達になってしまいます。そんな 「団地」 を中心に全てのモノゴトが回っていたとさえいえるかもしれません。
 今までたくさんの思い出を作ってくれた団地で、これからもたくさんの思い出を作っていけるに違いない、たとえ将来団地を離れても、「きっとそのうち帰って来られる」 「いつかは自分が主(あるじ)になって住むんだ」 と信じて疑っていませんでした。街も団地も大好きでした。
 その団地から 「引っ越す」 というのです。引越しの理由については、あまり詳しく聞かされませんでしたが、数ヶ月前に 「父親の会社がアブナイ」 という話を聞いていたし、父親の姿を見かけなくなっていたので、なんとなくですが自分なりに理解しました。「え、なんで?」 と聞いてくる友人達には、適当な理由を言ってその場をとりつくろった記憶があります。
 引越しが近づくにつれ、さまざまな思いが浮かんできました。ウチの家族がずーっと住んでいたこの家に、見ず知らずの他人が住むのかと思うと、「いつか大人になって金持ちになったら、ここに誰が住んでいようと買い戻してやる。ちきしょー!」 という少々危ない考えが浮かびました。その半面では、「長い間お世話になったね。ありがとう!」 という感謝の気持も込み上げてきて、涙が止まらなくなったのを覚えています。結構純粋なところがあるじゃーないか。
 当初、数駅離れた所のアパートに引っ越すはずだったのですが、どうしてもその街を離れたくなかったので、駅の反対側、東名高速道路の音がよーく聞こえる、賃貸(「ちんたい」=家賃を払う)マンションに住むことになりました。大好きな街から離れることは避けられましたが、環境はよくありませんでした。家賃を払うために親は相当頑張っていたのだろうな、と今になってみればわかります。ワガママな少年斎藤でした。
 そんなこんなで、せっかくゲットした四畳半生活は2ヶ月でオシマイ。
そういえば、引越しの日に、押入れの裏とか、普段は見えない所に、マジックで記念の落書きをたくさんしましたっけ。
 そして、引越し先のマンションで待ち受けていたモノは・・・・・・、←まだ続くのかよ・・・・・・。
 良い週末を。
 ぢゃな。 


おまえはおまえでいいんちゃう?無理に変わろうとすることないで

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