151 12月21日

生命力。

 作家、五木寛之(いつきひろゆき)さんの講演会が、5年前にウチの短大で行われました。諸君にも紹介したいので、今日はその時の話をします。会場の記念講堂がほぼ満員という状況の中、一時間半に渡る講演会でしたが、あっという間に過ぎていきました。演題は 「こころの風景」 でした。
 あ、その前に五木寛之さんについての紹介をしておきます。まあなんと申しましょうか、わかりやすく言うと格好の良い素敵なおじさんです。作家としての仕事(とてもココには書ききれない)はもちろんのこと、「直木賞」 「泉鏡花文学賞」 「吉川英治文学賞」 など、その他多くの文学賞の選考委員をつとめるかたわらで、ラジオや雑誌などでもレギュラーを持っているヒトです。現在73歳ですが、おじいさんではなくて、おじさんなんだな。
 講演会は簡単な自己紹介から始まりました。講演当日、短大に至るまでの道のり(東武線の薮塚駅で降りた時に、あまりにも何も無いのでちーと驚いたと言っていたなぁ)での出来事や、同じ昭和7年生まれの方々(石原都知事や、昨日お亡くなりになった青島前都知事等・・・)との交流について、おもしろおかしく語りながら本題へと入っていきました。さすがに話がウマイ。
 本題に入り、最近は日本人が本来持っていた、「良いモノ」 が失われつつあり、「命」 というものの重みが無くなってきているという話になっていきました。この10年間(当時)で五木さんの心にひっかかっている言葉として、「透明な自分」 「人をこわしてみたかった」 「死ぬ理由もないけど、生きる理由もない」 (どれも当時マスコミを騒がせた事件や事故に関わったヒト達の残した言葉です)を紹介して、ギスギスした社会での、最近の我々の心の渇(かわ)き具合を指摘してくれました。
 そんな世の中の中で我々人間は、誰でも心の中に一匹の虫を飼っていて、遅かれ早かれ必ずその虫にやられる時が来る(へこんだり、挫折したり)というlこと、そしてそんな時には無理をせずに、ふかーくため息を二回程ついて、萎(な)えてしまってよいのだという話しをしてくれました。
 わかりやすく言いかえると、柳という木が降り積もった雪を、「へにゃ」 っとしなうことで 「どざどさ」 っと降ろすように、我々人間も萎えてしまうことでもともと持っていた 「生命力」 を取り戻していけるのですよ、ということでした。もう少しわかりやすく言いかえると、この学級通信のタイトルにあるように、プラス思考も大事なのですが、マイナス思考だって 「生命力」 を取り戻すことには大事なのだということですよ、ということです。
 当時の率直な私の感想は、「聴講(ちょうこう=話を聴く)してよかった」 の一言でした。今もこうして原稿を打ちながら、思い出してよかった、と内容の良さを再確認しています。実は当時の私にも、人生いっぱいいっぱいのコトがいろいろとありました。けれども五木さんの話を聴いたおかげで、生きていくことが楽しくなったのです。
 さ、そんな五木寛之さんの本は、朝読本棚に何冊も入っています。興味があるヒトは是非どうぞ。冬休み中も貸し出しますよ。
 2学期も明日でオシマイ、サミシイなぁ。
 ぢゃな。 


気にしぃな。あかんかったかて、なんぼのもんや

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