191 03月07日

将来選択。 

 はい、週の真ん中水曜日です。三者面談も継続するので、諸君も将来を見つめてください。それなので諸君世代だった頃の私のオハナシをプチっとします。

 高校2年が終わる頃、友人にお前はどうするのだ?と言われて始めて卒業後の進路について真面目に考えました。それまではただぼーっと、ミュージシャン(ベーシスト)になりたいなぁ、と思いながら毎日バンドや楽器の練習に明け暮れていましたから。ですからその友人に言われて初めて、「ミュージシャンになるためには何が必要でどーするべきなのか」 「そんなこと選択肢に入れたら第一希望への思い込みが弱まっちゃうかもしれないけど、ミュージシャンになれなかったらどーするつもりなんだよ」 と、いう二点について考えることになりました。
 当時、基本的には三つのバンドに籍を置いていました。中学から組んでいたオリジナル曲をやるバンド、高校で組んだハードロックをやるバンド、同じく高校で組んだジャズをやるバンドの三つです。どのバンドのどのメンバーも、卒業後の進路についてはある程度、進学やら就職やらと決めていたようですが、その根底には、「そのうちミュージシャンになってそれで食っていくぞ」 という考えを持ってたようです。
 当然私も根底には皆と同じ考えを持っていましたが、「そのうちミュージシャン〜」 の、「そのうち」 の間に、何をして過ごしているかが決まっていませんでした。進学するのか、就職するのか・・・、です。ただ、当時の我が家には父と母が卒業した大学に兄が通っていたこともあり、とりあえず私もそこに通うんでしょ、同じ所ではなくても、大学位は行きなさいよ、といった雰囲気が漂っていたことは確かです。今とは違い当時の斎藤家は、生活に少しだけ余裕があったようです。他にも理由はあるのですが、4年制大学に進学して音楽活動をすることにしました。
 「どうせ大学に通うなら何を勉強しよう?フツーの会社員みたいなのにはなるつもりはないし、数学や理科は苦手だから経済学部や法学部、そして理系の学部はナシだな。本を読むとか文学には興味は無いし、古典漢文大嫌いだから日本文学部もナシだな。あ、そういえば日本の歴史は面白いかも。教科書には書かれていないような裏話も楽しいし、遺跡の発掘なんかも楽しそうだから史学部にでも行くかな。うん、そうしよう!」
 本当に自分勝手な考え方で卒業後の進路を決め、親にも自分の気持ちを伝えました。指定校推薦は横浜市立大学1校で1名だけありましたが、成績優秀なヒトが推薦されるため私のようなフニャフニャ者には関係ありません。担任には4年制大学に進学したいという気持ちを伝えました。「5段階の評定平均が2.6しかないお前の成績では推薦とかは当然無理だ、斎藤が進学するためには一般入試で合格するしか手段はない」、と担任の言葉と共に、落ちたらどうするのだ?と、問いかけられました。
 落ちたら受かるまで受け続ける(数年間の浪人は覚悟)という気持ちを伝えました。「落ちた」 という結果だけで、「じゃぁ専門に行こう・就職しよう・バイトで食いつなごう・・・」 という進路変更だけはしたくなかったのです。一度決めた目標(大学に行ってミュージシャンになってやろう、というモノ)は意地でも達成させてやろうと思いました。入試に落ちたとか、まぁいっか、とかいう納得のいかない理由で、自分の夢や目標を失いたくなかったのです。大学浪人上等ってな世界でした。

 ↑続きはまた近々書きますが、今日で試験終了の諸君は三者面談を含めて、諸君にはマジメに将来の進路について考えてもらわなければなりません。宜しく頼みます。
 試験最終日。戦え戦え戦え戦え。


あんたはママの誇りやで

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