193 03月09日

続、将来選択。 

 はい、金曜日。気がつけば週末です。実はここ最近週末ともなれば、あっちゃこっちゃで呑みまくっていた私がいます。諸君と一緒にハワイから帰国した週末も、和食恋しさに割烹(かっぽう)料理屋さんで呑んでいた私たち(複数形。さー誰でしょー)がいました。諸君と同じく18時過ぎに桐生に着いたのは覚えているのですが、目が覚めたら自宅のベッドした。代行を呼んで帰ったらしいです。
 その翌週(先週だね)も、我が家で朝まで呑んでいた私たち(だから誰なんだって?)がいました。そして今週の週末です。今夜は誰とナニして過ごしているのでしょうか。さみしいけども、久しぶりの独りの夜を過ごしているかもしれません。
 さて今日は週末なので、お馬鹿話といきたいところなのですが、一昨日(おととい)の続きも放置できないので、ソレを書こうかと思います。とか言って結局お馬鹿話になってしまいそうですが・・・。

 高校2年生も終わりにさしかかった頃、4年制大学へ進学することを決めました。好きな教科ということもあり、出来れば日本史が学べる学部が良いなと思いました。推薦枠が無いこと、あったとしても普段の成績が悪いということもあり、推薦入試を受けて合格するという考えは毛頭(もうとう=少しも)ありませんでした。
 それなので大学に進学するには、高校の成績は全く関係のない、一般入学試験3教科を受けての一発勝負で合格するしかありませんでした。国語、英語、そしてもちろん選択教科は日本史を選びました。この3教科での一発勝負です。
 3年生になり、弱点である古典の知識をまかなうため、そして好きな日本史の知識をのばすために、週のうち何日かは予備校に通うようになりました。もちろん音楽活動は続けていました。週末はスタジオでバンドの練習だ・・・、ライブだ・・・、と予定を入れながら、予備校は面倒だったり辛かったりしましたが、音楽を続けているということが心の支えになっていました。
 進学校ではありませんでしたが、学校が企画してくれた補講にもプチっと積極的に出席していました。何故プチっとなのかというと、好きな教科しか出席しなかったからです。日本史。その通っていた高校は神奈川県でも非常に学力の低い学校でした。全国レベルで自分がどの位置に居るのかを知りたかったので、予備校が実施していた模擬試験は頻繁に受けていました。毎回毎回ミジンコみたいなレベル(←もうどうしようもないくらい小さく低い所にいる、といいたい)にいるんだなぁ、と模擬試験を受ける度に自覚させられていました。もちろん合格判定なんかは出ませんでした。
 あれ、お馬鹿話になっていない気がするぞ、結構真剣話だ・・・。
 すみません。
 良い週末を。
 ぢゃな。 


これまでも助け合ってきたやん。これからもいっしょにやってこ

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